月から落ちた死体の男
第四幕 殺意
辺りにはサイレンが鳴り響いていた。何者かが設備を破壊したのだ。
サツは扉を開けた。その瞬間、血の匂いが立ち込める。扉の向こうには、黒髪に黒い瞳の少年、ダカナ・レンヤがいた。無論、血の匂いの元は彼ではない。
レンヤはサツを一瞥すると、淡々と言った。
「ホンカミイ・アヤヒメが死にました」
「そのようですね」
サツはいつも通りの微笑を浮かべながら、レンヤの後ろを見やる。頭を潰した少女が、血だまりの中に横たわっていた。凶器であろう、食堂の椅子が隣に落ちている。
ホールに面した扉が次々に開き、コガ・ロック、ヨワ・カミエの二人が姿を現した。この階層の住人はこれで全てである。
「これは……」
アヤヒメの遺体を見て声を漏らすコガ。カミエは無表情でそれを見つめる。何かに耐えている様子も無いその表情は、ただ無感動を訴えているように見えた。
気にしてみれば、レンヤも無表情で、淡々としている。サツはレンヤと大して親しいわけではないが、彼はいつもこのような感じだったと思う。
この中で、少しでも反応しているのはコガだけだと、自身も微笑を浮かべたままでいるサツは思った。
「……彼女は、ホンカミイ・アヤヒメだな?」
「だと思います」
やはり、レンヤは淡々と答える。
「そうか。一応後で鑑定しとこう。第三者の可能性もあるからな」
考え込むコガの横では、いつのまにかにカミエが毛布を持ってきていた。遺体の上にかぶせた白い毛布は、見る見る赤い模様を纏っていった。
レンヤはエレベーターの横にあるコンソールを操作していた。この警報の鳴っている最中は、エレベーターが使えないのを知らないのだろうか。サツがそう思っている目の前で、エレベーターは動き始めた。サイレンはいまだ止まっていない。ハッキングだ。サツは少なからず驚嘆した。
動き出したエレベーターからは、下の階層の住人、ホシイ・ミアとコノエ・ハルカが現れた。
「どうしたんですか?」
ミアに問い掛けられたレンヤは、初めてその表情に動揺を見せた。今まで無表情だったのに。
答えかねているレンヤに助け舟を出そうとしてか、コガが横から口を挿んできた。
「ホンカミイ・アヤヒメが何者かに殺害された」
「え……え……!?」
ミアの大きな瞳が、更に大きく見開かれた。口は塞がらず、瞳の奥には不安を湛えている。その後ろでは、ハルカも驚愕に目を丸くしている。
「本当ですか?」
ミアのその問いは、コガではなくレンヤに向けられた。
レンヤは眉をひそめ、わずかにうなずく。先程淡々とアヤヒメの死を告げた少年と同じ人物とは思えないほど、表情が豊かだ。
レンヤに肯定され、それでもにわかには信じられないのか、ミアは毛布の隣に座り込むと、そっとそれを捲り挙げた。暫くぼうっとそれを眺めていたレンヤだったが、不意に慌てだしたかと思うと、ミアの腕を掴み、アヤヒメの頭部が露わになるのを防いだ。ミアは、死人に腕を掴まれたとでも思ったのか、わずかに悲鳴をあげて身体をぴくりと震わせ、驚愕の瞳をそのままゆっくりとレンヤに向けた。
「ちょっと、待って」
何をするのかと思えば、レンヤはミアの視線を身体で遮りながら、アヤヒメを仰向けにして後頭部の傷が見えないようにした。次に、毛布の端で血まみれの顔を拭く。やはり完全には拭えず、わずかに赤味を残した顔は、まるでただ眠っているだけのように見える。それを終えると、レンヤはミアの横へ移動した。
ミアはそれを見て、首と手首の脈を取った。意外に冷静だ。だが、それでアヤヒメの死を確認すると、急に満面に悲哀を湛えだした。
「もう……もうお話することも出来ないんですね……ずっと、会えなくなるんですね」
ミアはしかし、涙を流してはいなかった。
サツはふと、彼女の反応は実は、お気に入りのおもちゃが壊れたそれに等しいのではないかと思った。可愛そう、という感情は無く、ただただ自分がそれで遊べなくなったことを悲しんでいるように見える。
ミアからわずかに離れたところでは、ハルカが手を合わせていた。
今時殊勝なことだ、とサツは思う。宗教の存在しないエデン内においても、葬式などの一部の儀式は慣習として残ってはいたが、ひどく簡略化されており、合掌はマイナーだった。
ふと――もしかしたら、この場にいる人間が少女の死を悲しんでいないのは、宗教がなくなったことによる道徳教育の不全が原因ではないかと思った。だが、宗教の存在した地球時代の人間〈アルビューマー〉もまともな反応を見せていないことを考えると、実際には人間という生物の、どうしようもない退化によるものなのかもしれない。
結局、アヤヒメは本人の《ウォーム》の中に横たえられ、冷凍睡眠についた。〈エンブリオ〉が冷凍睡眠をする為に使用していたのも、特別な装置ではなく《ウォーム》である。全ての《ウォーム》に冷凍睡眠機能は標準で付いている。無論、アヤヒメが冷凍睡眠についているのは建設的な理由ではなく、腐って臭くならないようにという、非建設的な理由だ。宇宙葬にしようにも、外部ハッチにはレベル七、つまりは最高レベルのセキュリティーが掛けられている。開くことは出来そうに無かった。
翌日、食堂で事件についての話し合いが持たれた。
「とりあえず、セキュリティカメラの映像を見てくれ」
食堂のモニターを分割するように、四ヶ所の映像が映し出された。エレベーター、食堂、それに犯行現場となったロビーのものが二つ。まずは現場のカメラが真っ白になり、次にエレベーター、更に食堂もホワイトアウトしていた。強力な照明装置を向けられたのだ。光には熱量もあり、その為に赤外線でも何も確認できなかった。その後エレベーターと現場のカメラは回復し、レンヤの部屋へ訪れるアヤヒメの姿を映した。直後にエレベーターと現場のカメラはブラックアウトしている。改めてペイント弾で塗りつぶしたようだ。警報が鳴ったのはこの時で、センサーが光量の不足を感知した為である。
食堂の椅子を凶器にしたのは、素手での犯行はどうしても証拠が残るし、これならば凶器から犯人を特定できないからだろう。なおかつ返り血も少ない。
「カメラをかわす為に使った照明は現場に残されていた。指紋、体液はなし。ペイント弾の種類は特定できず。ホンカミイ・アヤヒメは後頭部に二発の打撃。で、不審な点がある。ホンカミイ・アヤヒメがあの時刻にあそこにいたのは、偶然だ。こんな騒ぎになってまで椅子を手に入れようとした犯人の目的は何だったのか。それと、この映像から、犯人は犯行現場の階層の住人だとわかる。俺と、カミエと、レンヤと、キグイ・サツだ。ま、椅子の重さと傷の状態を考えると、カミエの力では難しいだろうな」
食堂の席の間を歩きながら、コガは解説した。その動きは学校の教師を彷彿とさせる。
「誰か意見のある者は?」
やはり教師然としたこの台詞に反応したのは、いまだ見慣れることの無い女性……ヨワ・カミエだった。ほとんど部屋の外に出ない彼女も、さすがにこれだけの事件の上、自分が一応とはいえ容疑者になっていては集まりに参加しないわけにはいかなかった。
カミエに対して、どのような意見を言うのかという好奇の視線が注がれる。カミエはその視線を全く気にしないようで、音も無く立ち上がると、淡々と意見を述べた。
「ホンカミイ・アヤヒメさんをあの時刻、あの場所に呼び出すことができた人、なおかつあの階層に住居を割り振られている人。一番最初に現場にいた、ダカナ・レンヤさんが最も犯行を容易に行えたと思います」
皆の視線が、レンヤに注がれる。当のレンヤは無表情でカミエを眺めていたが、彼女が座ったのを確認すると、立ち上がって反論を開始した。
「確かにその意見は全面的に肯定します。僕が最も容易に犯行を行えたでしょう。アヤヒメも、恐らくは僕の部屋へ向かっていたんだと思います」
易々と自らの怪しさを認めたレンヤだが、なお表情に変化は無い。そして、その後に続く言葉は、その無表情が虚勢や諦めからの物ではないことを示していた。
「ですが、他の方の犯行の可能性も否定は出来ません。そもそもアヤヒメのことは偶然で、犯人はまず椅子を入手したかっただけなのかもしれません。証明でカメラを誤魔化すだけなら、警報も鳴らなかったはずです。まあ、なぜ椅子を手に入れようとしたのかはわかりませんが」
その言葉にうなずいたのは、コガである。
「そうだな。動機がはっきりしてねぇんだ」
「証拠も無いですし、この話し合いは無意味なのではないでしょうか?」
そのサツの意見に、コガもうなずいた。
「確かに、今は現状の確認以上のことはできねぇな、気に食わないことに。一応全員の荷物検査はするぞ。あと、個室の中にもカメラを入れる。これで全員の出入りを確認できるだろ」
荷物検査の結果、結局何も見つからなかった。ペイント弾を発射した銃が見つかるのでは、と緊張していたのだが。コガが言うには、恐らく部品に分解して巧妙に隠しているのだろう、それなら専門の器具が無ければ見つけられない、ということだった。
そして、使っていない階層からカメラを持ってきて、各部屋に接続した。カメラは電源も映像の送信も無線で行っていたから、作業は簡単なものだった。とりあえず、部屋の入り口だけが映るように角度を調節する。
これで、次の犯行が行われたときに犯人を特定できる。次の犯行が行われたときに、である。レンヤはそれを良しとしないようで、ミアを呼び止めると、なにやら話し込んでいた。その真剣な表情から、恐らく、二人が生き延びる為の話だろうとサツは思った。
サツはいつもの微笑より少しだけ、唇を吊り上げた。
学校を卒業できたのは奇跡だったと、キグイ・サツは思っている。成績の問題ではない。よく我慢が続いたということだ。
あんな、機械に脳内をプログラミングされるだけの施設など、馬鹿馬鹿しいにも程がある。機械に道徳教育を受けるなんて、笑い話にもなりはしない。だが、今の世の中に子供を教育できる人間がいるとも思えない。
世の中の全てに苛ついていたサツは、周りにいる人間のように、死んだように生きるつもりはなかった。それは気に食わなかった。自分は何かできる男だと思っていた。
やがて二十歳を過ぎた頃、人を殺した。実に発作的だった。通路ですれ違った男を殴り倒すと、馬乗りになって殴り続けた。相手の原型がわからなくなってから、その場を立ち去った。
ここエデンに、警察機構は存在しない。代わりに、小型の戦車のようなものが出張ってくる。軽犯罪者はガスで眠らせるが、重犯罪者に対しては逮捕というものは存在しない。その場で死刑。素手では太刀打ちできないが、武器を調達することはほぼ不可能だ。結局、逃げるしか無い。
目に映るセキュリティカメラを手当たり次第に破壊しながら、通路の壁を爪と引き換えに引っぺがして穴を開け、壁の中を走り続けた。周りを走っているケーブルに触れればアウト。防犯の為の高圧電流に見舞われる。無重力区にも注意しなければならない。
走り、飢え、衰弱し、しかしなぜか頭の中だけは冴え渡っていた。今まで愚かしい社会の中で濁り、曇っていた人間としての本能の部分が、この状況の中で研ぎ澄まされていく。それは今までに感じたことの無い高揚感を与えてくれた。
脳内麻薬の働きで飢えも気にならなくなった頃、サツはそこに行き着いた。壁の中に、明らかに人工的に作られた空間。ケーブルに細工をし、警報装置を黙らせ、どこから材料を調達したのかわからないが、家が立ち並んでいた。
このエデンには船内質量維持法というものがあり、あらゆる物質が捨てられる事無く、循環を続けている。船の推力は光発電などで、そのダイナモも故障したら別の使い道にまわされる。とにかく、ゴミという物が存在しないのだ。一旦捨てられたものでも、最後には人の手元に戻ってくる。
ここに建てられている家の建材、ケーブルに細工をしている物、全てどういった経路で手に入れているのか、不思議だった。
その空間に足を踏み入れたサツに、女性が一人近づいてきた。サツが今まで接してきた女たちとは違い、知性を宿した瞳が生き生きと輝いていた。他に人の姿は見えない。
彼女はサツに視線を向けながら、口を開いた。
「個人番号二〇三九二、キグイ・サツさん。四日前の午後一時、第ニ四区画三十六階層、三ノ六通路にてキム・ロシャさんを殺害した」
何故、そんなことを知っているのか。その疑問は一瞬だけ浮かび、すぐ消えた。
どうでもいいことだ。
サツが沈黙していると、彼女は言葉を続けた。
「あなたは恐らく、この世界の馬鹿馬鹿しさ、愚かしさに気がついている。そして、それに立ち向かい、改革しようとする姿勢をとっている、賢良な方」
これにもサツは、沈黙を持って答える。自分のことなど、どうでもいいのだ。どうせ、人格の評価などというものは見る人間によってどうとでも変ってしまうのだから。
むっつりと黙っているサツに気を悪くした様子もなく、彼女は喋りつづけた。もともと返事を期待しているわけではないようだ。
「私はイファといいます。私たちはこの社会を、ひいてはこの世界を変えようとしています。一人でも多くの友が必要。あなたにも協力してほしいのです。衣食住はもちろん、何でも手に入りますし、何も奪われる心配もありません。そう、あなたが何も望まなければ」
サツはその話が、矛盾したもののように感じた。だが、頭の中でよく整理してみると、そうではない。ひどく道理で、ある意味自分が理想とすることですらある。
イファは、微かに驚嘆の表情を見せたサツに、にこやかに微笑んだ。今までの人生でサツの出合ったことの無い、生きている笑顔だ。
「人は一つの欲望を捨てたとき、一つの願望を成就させることができるのです。そして、何かが出来なくなったとき、一つの自由を手に入れることができるのです」
「それはつまり――」
サツが初めて口を挟んだ。学校を卒業してから声を出すことはほとんど無かったが、飢えのせいか、思ったよりもしわがれた声だった。
「――死ねってことか? 何も考えず、何もするなって?」
「ええ、そうです」
サツの言葉を、イファは易々と肯定した。
サツの目はわずかに見開かれた後、鋭く釣り上がった。
「ごめんだな。オレはまだ考えたいことがある。死ぬ気は無い」
「まあ!」
湧き上がる悪意を乗せて放った言葉に、しかしイファは歓喜の声を上げた。
「素晴らしい心構えです。きっとあなたは、幹部になれますよ」
「知るか。オレは、お前らの仲間になるつもりは、無い」
刺々しい口調で言ったのだが、やはり彼女は気にした様子もなく、笑顔を浮かべていた。
「今は、まだ構いません。大意が形をとるまで、まだ時間はありますから。生きるにしても、罪人であるあなたは、ここにいた方がいいでしょう?」
問い掛ける彼女に、サツは厳しい視線を送った。その視線を受け止めた彼女は、なお表情は変えぬまま、しかし声には安心感を誘うような柔らかさをこめて言った。
「見返りは要求しません。私たちは、何も望みません。大意に従うだけ。今は、好きなだけ好きなことを考えてください。それは素晴らしいこと。なによりの財産になるから」
サツは、その言葉に、というわけではないのだろうが、気力で保っていた体勢を崩してしまった。前のめりに、ゆっくりと倒れこむ。それを、イファが優しく抱きとめた。
「疲れているんですね。部屋に案内します。とはいえ、私の部屋ですけど。正式な友になったら、あなたにも部屋があてがわれるはずですから」
囁くように言いながら、サツに肩を貸して歩き出す。
「いつか、あなたもわかってくれるます。死は、人の願望の全てをかなえられる。存在を
昇華させられるんです。私たちは、他人にもそれを強要します。それが、世界を良い方向へ変えるから」
サツは今にも意識を失いそうなまどろみの中で、彼女の話を聞いていた。怪しい宗教団体だと思ったが、彼女には、宗教特有の舞い上がっているような調子は無い。現実を見据えている冷静さを内包しているのだ。
「そういえば、私たちの名前、まだ言ってませんでしたね。昇滅至団、って言うんです」
「テロ……組織じゃねぇか」
ほとんど聞き取れないようなその呟きに、イファは笑みを強くした。
「そうですね。確かに私たちの行動は武力によるものが多いです。けれど、あなたもわかるはず。それが素晴らしい革命であることが」
サツは、返事をする程には意識を保っていなかった。そして、今までに無い、心地よい眠りに落ちていく。
数週間後、サツは昇滅至団の徒となった。
それから更に半年を過ぎると、イファの予想通り、サツは幹部にまでのし上がっていた。
やがて、大意が形をなすとき。
「いよいよですね」
「そうだな」
サツは、この村に来て一年が経っても、未だにイファ以上に生きている女と出会っていない。今もイファの部屋で、彼女のベッドの上に座り込んでいた。イファは隣にいる。
「サツ。そんな言葉使いはいけませんよ」
「外では使わねぇよ」
「変わりませんねぇ、サツは」
「お前に嫌われでもしない限り、変わろうとは思わねぇだろうな」
サツの言葉に、イファは微笑を強くした。
「けれど、サツが実行者に選ばれたなんて、驚いたわ」
「大した意味は無いんだろ」
「がんばってください。あなたならきっと上手くいくから。頼みますよ」
「……確かに、頼まれた」
二人とも、これから死ぬ。
イファは船内にコンピュータウィルスを捲き、《ウォーム》の中の人間を殺害する。その際、一つの《ウォーム》も無いこの村は直接の被害を受けることは無い。だが、大気循環システムも、発電システムも働かなくなると、船内全てに死がゆっくりと降りてくるはずだ。
サツは……予想されうるアクシデントによる、生の可能性を潰す為に避難艇に乗る。避難システムが間違って正常に作動した者たちに死を運び、最後には、自らの生も絶つのだ。
そして二人は笑顔で別れ、死へと向かって歩き出した。
サツの目の前に、死を迎えたものがある。二人目だ。
手にしている武器は、地球時代の末期に作られた銃器。横から見ると上に広がる台形で、正面から見ると縦に伸びた円の形をしている。
その銃により、目の前の身体の頭部は消え、首にはのっぺりした断面が覗いている。今装填されている弾はもちろんペイント弾ではないが、昔の銃のように鉛の塊などを撃ち出したりはしない。
サツはふと思い出して、死体の腹部を撃ち抜いた。そこに宿っている、自らの子、未完成な命を撃ち貫く為。
液化ガスで撃ち出す為、ほとんど音は出ない。腹部に丸い穴が開いた。特殊な弾により、着弾点から半径十センチ程の空間が、分子に分解される。血も飛び散らず、一瞬それが人間かどうかわからなくなるが、暫くすると穴の淵からじわじわと血が流れ出てきた。もう心臓が止まっているからか、首よりも血の出は少ない。
「自分で創ったガキを、念入りに殺すのか?」
カミエの部屋のドアが開き、コガとカミエが出てくる。サツが咄嗟にエレベーターの柱の陰に隠れると、コガは追ってくることはせず、慎重にサツの方を窺ってきた。部屋でセキュリティカメラの映像を見て、この銃ならば部屋の扉くらい撃ちぬけるし、遮蔽物の少ない室内の方が不利だと判断して飛び出してきたのだろう。
「どうも、コガ・ロックさん。ヨワ首脳の護衛、ご苦労様です」
この一言で、サツがただの殺戮者などではないことが伝わったはずだ。
「……どこまで知ってやがる?」
「そうですね。僕は昇滅至団の者です。そして、地球の昇滅至団から受け継いだのは、名前だけではありません。あなたたちが隠している、本当の歴史も伝わっているんです」
「忌々しいな、てめぇらは」
それは、進化派の首脳ヨワ・カミエの片腕、また護衛として何十人もの人間を葬ってきた男の声だった。だがその男も、この状況下で武器が無ければどうしようも無い。
不意に、エレベータの動く音が聞こえた。
「逃げるつもりですか? 例え逃げても、船自体を破壊しますから意味ありませんよ」
その言葉には、沈黙が返された。
やがて、エレベーターの開く音が聞こえた。扉は向こう側にある。ここからは攻撃できない。
いや、そうでもないか。
サツが、少し傾けていた腕を、ほぼ水平にまで上げたのを見たコガが叫んだ。
「伏せろ!!」
サツの指が、連続してトリガーを引く。空気の抜けるような音が重なり、壁に穴が開き、エレベーターに乗っていたレンヤとミアの姿が見えた。すぐにエレベーターの扉が閉じ、二人はその向こうに隠されてしまった。その扉にも穴を開けようとした所で、隣から迫り来る人影に気付き、慌ててそちらを撃った。人影……コガはすぐに身を捻り隠れ直したが、腕を一本落としていっていた。
サツは深呼吸をした。いつもの微笑が消えてしまっている。
「……やはり、一番の脅威はあなたです。コガ・ロックさん。片腕になっても、油断はしませんよ。僕は頼まれていますから、失敗することは出来ないんです」
「……ちょいと世間話でもしようか」
多少苦しげな声でのコガの提案に、サツは怪訝そうに眉をひそめた。
「何を企んでいるんですか?」
「なに、俺が死ぬにしてもお前を殺すにしても、これでお別れだ。訊きたいことをみんな訊いておこうと思ってな」
コガの体力が削られるのを待つつもりで、サツはその意見に乗ることにした。
「いいですよ。訊いて下さい」
「まず、俺たちはどうせ死ぬ。放っておいてはくれねぇのか?」
「宗教家のわがままです。付き合って下さい」
「ふ~ん……案外お前、ぞっこん宗教じゃねぇんだな」
ぞっこん宗教という言葉の意味は図りかねたが、サツは持論を口にした。
「幸せに生きる人間は、他人にも生きることを強要するでしょう? 幸せに死ねる人間が、他人に死ぬことを強要しているだけですよ」
「まあ、いい。あと、なんで最初の犯行はあんな慎重で、今度はこんな大胆なんだ?」
「ああ、そのことですか」
ここでサツは、一つ溜め息をついた。
「彼女の死で、あなたたちを俗社会から精神的に解き放つことによって、昇滅至の法を説こうと思ったんですが……」
言葉を区切って首を振るサツは、戦闘の最中だとは思えぬほど隙だらけだ。だが、銃が向けられているので飛び掛ることは出来ない。
「……どうにも皆さん、リアクションが薄いんですよね。ですから、諦めました」
「で、なんでその後、コノエ・ハルカを狙ったんだ?」
「無意味な質問ですね。まあ、聞きたいと言うならば答えますよ。先程も言いましたが、僕は頼まれていますから、あなたたちの始末、失敗するわけにはいかないんです。カミエ首脳は、コガ・ロックさんと一緒にいる。ホシイ・ミアさんも、ダカナ・レンヤさんと一緒にいる。一人でいるのが彼女だけだったんです。いざというときは、どんな微々たる力も無視できない。だから、確実に一人、減らしたのです」
「いい心がけじゃねぇか」
そこで、コガの言葉がぴたりと止まる。空気に緊張が走る。来る。
サツは先手を打った。エレベーターに向かって弾を撃ち込みつづける。右に影が飛んだ。撃つ。コガが左腕を盾にしているところを確認した時点で、左からレンヤが飛び出してくる。腕を失っているとはいえ、コガは脅威だ。コガの足に狙いを定め、撃つ。片足を吹き飛ばした時点で、コガよりもレンヤの方が脅威となる。レンヤに狙いを定め……横手から殴り飛ばされる。
「ぁ!?」
サツの目は、ありえないものを捉えた。領でを失っているはずのコガが、右腕で殴っていたのだ。右腕は、確かに床に落ちていたはずだ。
「なんです、それは!?」
片足しか無いコガは、その場で倒れてしまう。だが、その脚の傷口には薄い皮膚が張られ、出血が止まっていた。
「進化派は化け物ですか?」
「い~や、俺はちょいと実験中に事故っただけだ」
さっきの問答は腕が再生されるまでの時間稼ぎだったのか。
とにかく、それよりもレンヤを捌かなければならない。眼前まで迫っていたレンヤに向けて、連射する。コガからの一撃をまともに食らったところに、軽すぎる銃で逆に狙いが定まらない。右耳、右腕、左肩、左わき腹、左大腿部がえぐれる中、レンヤは残った右肩でタックルしてくる。壁に背中を打ち付けて一瞬息が詰まったが、右足を前に繰り出して、倒れかけていたレンヤを思い切り蹴り飛ばす。今のうちに、コガに止めを刺さなければならない。
頭だろうか。それども心臓だろうか?
観察する視線の先、ふと、コガの腕の切断部から、血にまみれた、小さな小さな、胎児のような手が突き出しているのが目に入った。それの、爪楊枝の先程の指が動いた。
――体中を吹き飛ばせばいい。
サツが初めて、殺意を抱いた瞬間だった。