月から落ちた死体の男

第五幕 教育者

 コガ・ロックは、キグイ・サツが銃を向けてきた瞬間に、死を悟っていた。
  最後まで気になるのは、自分の生涯をささげた相手――ヨワ・カミエのことだった。
  目の端で、倒れたレンヤに駆け寄っている彼女の姿が確認できた。
  彼女ならば何とか生き延びるに違い無い。そして何かするのだ。何か、自分には出来ないであろう、何かを。

■・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 地球は人間の為の星だった。完全環境管理システムを完成させ、人間はあらゆる場所を自分たちの都合のいいように作り変えていた。
  南極には地球最大のコンピューターが設置され、そこらじゅうに冷却装置が剥き出しになり、地面からは蒸気が立ち上り、空から雪になって舞い落ちる。オゾン層も薄いし地磁気も弱い。快適な環境とはいえなかったが、税が軽く、法的規制が緩やかなので案外住人は多かった。
  人がいれば、学校もある。ただし、この学校というものは知識を得る為の場所ではなく、優劣の烙印を押される場所に過ぎない。その歪みは小学校から始まっている。
「――っつーわけで、人間は自然から確立した種として、地球を機械だらけにして支配してるわけだ。大したもんだが、馬鹿げてるな」
  学校では、未だに紙が使われていた。紙の出版物も無いわけではないが、ここまで紙を使用している場所は他に無い。本屋よりも紙がある。実に馬鹿げた施設なのだ、学校というのは。
  小学校の教師である古賀六宮も、そう思っていた。馬鹿げている、実に。
  チャイムが鳴った。馬鹿げたことに、このチャイムも昔ながらである。ちなみに、この『昔ながら』の基準は日本国の『昔』である。この南極地域にはなぜか、新代後期日本文化の色が濃い。外見も東亜系が多いし、名前が漢字の人間も多かった。
「今日はここまでだな。予習をしてこいよ」
  窓の外には、雪が降っていた。この雪は床に触れると溶けて、流れ落ち、機械を冷却し、蒸発して空に戻る。この温度差や水の流れは全て電力に変えられていた。
  放課後。教室では古賀が女生徒の一人を犯していた。その生徒の母親は教室の外で待っている。成績を上げる代わりに、娘を差し出したのである。成績というものはこうした諸々を含んで決められる。それはごく一般的なことだった。不正を排除する為の機械による無人人事が一般化しているこの時代、子供の学歴というパラメータはそのまま直接収入に結びつく。それはつまり、親の老後の保障を意味している。
  古賀の腕の中で、何をどこまで理解しているのか、抵抗らしい抵抗もしないでいる少女はまだ九歳である。親に逆らえる歳ではない。
  古賀はぺドフィリア――小児性愛症だった。小学校の教師をしている理由も、そこにある。
  だが、古賀は根っからの悪人というわけではない。教育者たらんとする気持ちはちゃんとある。だがその気持ちがある為に、むしろ学校教育や家庭教育の現状には憤りを感じ、それがこういった方法で発散されてしまっているのである。
  古賀は帰路についた。地下道を通れば暖かいが、彼は好んで雪の舞う地上の道を選ぶ。地下道はまさに鉄の管を歩いているようで、不快だった。せめて舞い落ちる雪があれば、鉄の無機質さも少しは薄れるというものだ。
  辺りに高層建築は見られない。建物は地下へと広がっている。地下の方が宇宙線の心配が少なく、窓も無く壁も厚いため防犯性も高い。だから地下の方がいいという人間が多いのである。地表に住むのは物好きだけ。古賀の家は、地表にある煉瓦造りの家。まさに物好きの家だった。
  古賀の家の横……そこは細く薄暗い路地になっているのだが、そこに少女が一人、座り込んでいた。年の頃は十一、二歳。古賀の性的対象範囲、上限ギリギリである。
「――なにしてんだ、お嬢ちゃん」
「…………」
  少女は何も答えなかったが、恐らく家出であろうと思われた。今時の親なんて自分の為に、学校の教師に子供を売り渡すような奴らなのだ。子が親に絶望的な不信感を抱くのは容易だった。家出は頻繁に起こり、警察も重要人物の子供以外はさじを投げていた。
「寒いだろう?」
「なんでもするから、面倒を見てください」
  少女が静かな口調で言ったその言葉を聞いた瞬間、古賀の背中を震えが走った。たまらない、と思った。
「ちょうど、ここが俺の家なんだ。入れよ」
  少女は小さくうなずいた。
「……そういやぁ、お前、名前は?」
「……カミエ……」
  苗字を名乗らないのは家出をしてきたからだと解釈した。実際はもう少し意味があったのだが、古賀がそれを知るのは彼女の親の名前を知ってからとなる。
  古賀はカミエを家の中に招き入れると、有無を言わさずいきなり押し倒した。自分でも異常だと思うくらい欲情していた。初めて女を抱いたとき、初めて少女を抱いたとき、初めて生徒を抱いたとき、そのどれよりも興奮していた。次の日は学校を休み、一日中カミエと情に耽った。
  やがて古賀が落ち着くと、全く、これといった感情も見せず、とてもそういった行為の後とは思えぬ様子で、カミエが言った。
「勉強を教えてください」
「勉強? どういう意味で言ってんだ?」
「一応、基本……読み書きに加減乗除、元素記号くらいはわかります」
「……ま、別にいいが」
  次の日、古賀は学校が終わってすぐに家へ帰ると、机にカミエと隣り合って座った。
  驚いた。勉強が出来るというわけではない。教科書の内容を覚える早さで言えば、平均以上だが普通以内といったところだ。だが、彼女は教科書以外のことに対し、鋭い質問を飛ばしてきた。分子の話が出れば、原子の事を気にし、電子についても尋ね、原子核に興味を持ち、素粒子について説明させる。彼女の向学心と興味、真剣さは、古賀の燻っていた教師魂を燃え上がらせた。
  その反動で、学校に対する憤りは高まっていった。生徒にはまるでやる気が無く、教師もやりがいを感じられず、親は子の成績が悪いのを、ただそれだけに受け止める。何故生徒は知識を覚えるのではなく理解しようとしないのか。何故教師は教育の本分を忘れ、生徒に諦めやる気をなくし、または行動を空回りさせていることに気付かないのか。何故親は子の成績不良の理由を理解し、共に成長しようとは思わないのか。
「勉強ってのは自分の為にやるもんだ。楽しいか? 楽しくねぇなら楽しさを見つけろ。その為に、俺に出来ることはなんでもする」
生徒――(沈黙)
  ふざけるな!
「真に子供たちの為の、実のある教育をしましょう。教科書以外のことも教えなければ」
教師――無理
  殺すぞ!
「お子様を誉めて」「ご家庭の方でもう少し厳しく」「お子様と話し合って」
親――はい。はい。はい。……学校にお任せしているんで。……子供が嫌がることは。
  死ね!
  道徳観の欠落、熱い血潮は冷え切って、赤い情熱はどこ行った! なんて、数世紀前の学園熱血青春ドラマが好きな古賀は思ったりした。
「……最近、溜め息が多いわね」
「ん?」
  勉強の途中で、カミエがそんなことを言ってきた。
「まぁ、なぁ。……学校ってのは、何てぇかな、ひっでぇとこだ」
「どんな風に?」
「生徒は学ぶ気が無い。教師は教える気が無い。親は子について何も知らない。その三つが最悪の調和をして、胸糞悪い不協和音を奏でてる。その酷さは――命に届く」
  古賀もカミエと出逢うまでは、教師のパートを演奏していたわけだ。
「変えたいの?」
「学校を? 変えてぇな、そりゃ」
「何故、変えないの?」
「変えられねぇんだ。ああいう場所は、過去ってもんの濃度が濃い。過去は何にでも張り付いて、剥がすときには周りをごっそり抉って行っちまう。学校から過去を取っぱらっちまうと、何にも残んねぇんだ、実際のとこ」
「過去……」
「やっかいだな」
  そのとき古賀がカミエに注目していたならば、その瞳が何か深いところへ向いていることがわかっただろう。
  カミエには目的があった。やがて古賀は、それを知ることになる。
  カミエが来てから半年ほどが経っていた。二次性徴を迎え、女性的特徴を獲得していくカミエは古賀の性的対象から遠ざかっていったが、未だに古賀の家で勉強を続けていた。この頃になると、カミエに知識を与えるには、古賀が研究助手をしていた頃の資料まで持ち出さねばならなくなっていた。
  ある日、古賀が家に帰ってくると、カミエが手にしてはならないものを手にしていた。
「……読むな! それを置け!」
  それは、古賀が師と仰いでいた人の、最後に書いた実験記録である。つまり、シャーメル=ピューリッツの、殉職した実験の記録だ。その内容はスラングらしき言葉で埋まり、古賀にも解読できていない。だからといって、人に読ませていいものではない。
  古賀に怒鳴られても、カミエはその紙から目を離さなかった。そう、それはデータではなく紙である。シャーメルは様々な資料を紙に書き残していたのだ。本人が言うには、紙の方がいざというとき信用できるらしい。ちなみに、古賀の紙好きにはシャーメルの影響もある。
「カミエ、それは人が手に負えないものだ。意味、わかんねぇだろ? だが、読むな」
「……私、わかるかもしれない」
「なに!?」
  それは知識や教養ではない、一種の直感力によるものだったに違いない。
「これって暗号じゃないわよね。意味不明な言葉はきっと、全部シャーメル=ピューリッツの作り出した新物質と、その化合物なんだわ。凄い人ね。並みの天才が何十人で取り掛かっても、この物質の内の一つを作り出すのに何世紀かかるか、もしかしたらいつまで経っても作れないかも。まあ、確率の問題で、誰が偶然発見しないとも限らないけどでも、彼はずば抜けてる」
「……先生の話はしても、シャーメル=ピューリッツの名前は教えてなかったと思ったが」
「私は六宮の名前よりも先に、それを知っていたわ」
  古賀はその言葉の意味を考えて、不快そうな顔をした。
「……まさか、先生の記録が目的で、俺に近づいてきたのか?」
  低く重いその声に、カミエはまったく物怖じしない様子で答える。
「それは半分。もう半分は勉強ね。実際、私の知識は小学生に毛の生えた程度だったもの」
  後には、沈黙。大した緊張感の無い、単に話すことの無いような沈黙。
  やがて古賀が、大きな溜め息をついた。
「で、俺には何をして欲しいんだ」
「あら、話が早いわね」
「まあな。単に学と実権記録が欲しいんだったら、今頃は逃げてるはずだろ」
「そうね。私はね、あなたを気に入ったのよ。男としては最低だと思うけど、人間としては好き。だから、手伝って欲しいの」
  カミエの態度は一切変化していない。古賀の方も、穏やかな雰囲気である。
「で、何を?」
「そう……そのことは私も最近まで迷っていたわ。世界を変えたいと思っていたけれど、手段も目標も決まらなかった。とりあえず、人間の進化を研究していたシャーメルの記録を読めば何か掴めるかと思って、シャーメルが原因不明の失踪を遂げたときに助手をしていて、なぜか世間の日向を避けて、こんなところで教師をしているあなたと接触したの」
「こんなところ、とはひでぇな。俺はここ、気に入ってんだが」
  カミエは古賀の言葉を無視して、話を続けた。
「私はあなたと暮らしているうちに、思うところがあったわ。あなたは言った。過去は何にでも張り付いてしまい、過去を全て剥がし去ると何も残らないと。私は世界を変えたい。纏い付く過去ごと全て――それはつまり、全く新しいものに変化させるということよ」
「で、結局はどう変化させるつもりだ?」
  カミエは手にしている紙の束を叩いた。
「ここに書いてある、スライムよ」
「……本気か? お前は、スライムの何たるかを理解してねぇんじゃねぇのか」
「あなたほどではなくとも、それなりには理解しているつもりよ。要するに、生物を新たな、強力な生命力を持つ種に変化させる、つまりは進化させることができるんでしょう?」
「それは成功例の場合だ。スライムに一方的に喰われて消えちまうこともあるし、種として存続不可能な妙なゲテモノになっちまうこともある」
「ああ、そうか。じゃあ、シャーメルはそのどっちかだったのね?」
「……消えたよ。俺の目の前で。スライムは攻撃性を持たないから、放っておけば害はないかと思って、まあ実際放っておくしか出来なかったんだが、数時間シャーレの上で観察してたのが急に消えた。自力で気化し、容器を透過し、部屋中に満ちたんだ。それは先生を喰い、俺に怪しげな体質を残し、そして世界中に広がった。そう、地球全体の空気中に漂いながら、生物の皮膚を食して増えていってる。進化が起きていないのは、濃度の問題だろうな」
「じゃあ、人はおのずと進化するということね……希望的観測をするなら」
「失敗例も多く生まれるだろう。なにしろ、いろんな生物を食ったスライムは純粋なスライムじゃなくなる。合成種……キメラみてぇなのが産まれるかも知れねぇな」
「それらは新たな生態系を築けるかしら? 新たな文化を生み出せるかしら?」
「無理だな。この社会じゃあ、少数派の進化した生物……進化種とでも呼ぶか。進化種は多数派に殺されるだろう。特に人間を元にした進化種ならな」
「その原因は? 優れているものや理解できないものを拒絶する人間の習性は何故あるのか? 生物としての本能? それだけじゃない」
「……過去、か?」
「そう、過去よ。今話しているうちに、私の目的は具体的に決まった。進化種が正しい生存競争を始められるような世界を作ること。つまり、今の世界を壊すこと」
「協力しろと?」
「お願い。あなたが必要だわ」
「……そこまでいわれちゃ仕方ないな」
  そして始まった。進化派は最初、二人だけだったのだ。
  古賀はカミエの参謀やら護衛やらをする以外のとき、進化派の人間に教育を施した。皆、覚えようとしていたのでやりがいはあったが、何かが違う、とも思った。
  やがて政府が作り、進化派で奪った恒久維持宇宙船《AA01》つまりはエデンの中に、過去に縛られない新しい世界を作るとき……古賀は教育者として何と意見しただろうか。
  そう、確か、
「教育はいらない」
  自分はそういったのだ。
  長年かけて、世界を見てきた自分の至った、一つの結論。
  しかしエデンには学校は作られ、そこを卒業したキグイ・サツは古賀に銃口を向ける。

■・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 死ぬ間際。
  コガは最後の最後に、その思いに至った。
  キグイ・サツは、自分たちの作り出した世界の、教育された人間なのだ。これが結果だ。
  コガは最後の最後の最後に考える。理想の教育とはなんなのかを。
  少なくとも今までの自分の行いの中で、真に教育といえるのは、カミエと椅子を並べていた時間だけだった。あの時自分は教師であり、父であり、恋人だった。
  そして、教育とはなんなのか。
  彼の思考は途絶える。
  人の一生をかけて、答えを見出すことは出来なかった。

■・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 教育者は、死んだ。

inserted by FC2 system