月から落ちた死体の男

第六幕 読解者

 ホシイ・ミアは血塗れのレンヤを見て、今までにない不安を味わっていた。
  助けたいと思った。他の何も感じる事無く、助けたいと思った。
  自分が死ぬだろうということを考えたのは、レンヤの前に踊り出てからのことだった。
  レンヤと目が合い、熱いものが込み上げてきた。
  自分が死ぬということに気付いてなお、彼女は後悔はしていなかった。

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 星井松朗。地球最後の貴族といわれる男である。血縁の関係や一族の習慣から星井の姓と日本風の名を名乗っているが、周囲の人間は皆、彼のことをサー・ヴィレンの名で呼ぶ。それほど、その家柄の印象が強い。歴史上に現れるヴィレン家の者は、商売人から芸術家、格闘家から芸人と様々で、家係図を眺めると面白い。その影響力はどこにでも及び、当代の当主である松朗は政治家をやっている。
  このヴィレン家であるが、どうにも性的倒錯の人物が多く生まれる。要するに、異常な性癖や、妙なフェティシズムを持っている人間だ。その為、独身が多かったり、結婚しても子供を残さない人間が多い。松朗の両親も普通に愛し合うことを知らなかったので、松朗は人工授精によって代理母から産まれた。
  そして松朗自身もちょっとした性的倒錯を持っている。親ばかの域を脱した溺愛。ただし、性的虐待にまでは至っていない。副業の商売が忙しすぎたお陰だろう。彼はいつも眺めているのだ。その娘、星井美愛を一つの部屋で生活させ、カメラから送られるその映像を仕事の間中もずっと眺めている。今年で十歳になるが、入浴中も着替え中も、トイレ中も眺めている。
  ちなみに、美愛の母は死んだことになっている。それが事実かどうか、死因は何なのか、全く知られていない。
  美愛は覗かれていることに気付いていない。知り得る情報がないので、仕方ない。
  美愛は本を読むのが好きだ。何よりも本を読むことが好きなので、食事と睡眠以外の時間は本を読んでいる。本は紙ではなくデータだが、閲覧する端末――ブックスは本の形をしていた。読書の内容は少女漫画から文学小説、実用書から哲学書と取り止めがない。彼女の関係者は、彼女が本の内容を理解できているのかどうか疑っていたが、彼女は確かにそれを理解していた。だが、その知識を応用できていないだけだ。なにしろ読むこと以外にやることがない。頭の中には様々な、料理のレシピやキャンプの方法、手術の仕方といった、膨大な知識が溢れ返っているのだが、使いようがないのだ。
  そんな美愛の生活には、欠かせない一人の青年がいた。美愛の身の回りのことは、その青年が執り行っている。食事を運んだり、話し相手、掃除、勉強を教えたりなど、必要と思われることを全て行っていた。名をアーベル=ラカーユといい、金髪碧眼、爽やかな印象を受ける二枚目である。
  ラカーユは美愛を愛していた。美愛もラカーユのことを気に入っていた。
  そのラカーユは今、美愛の目の前で死んだ。侵入者に殺されたのだ。
「あぁあ、殺す気はなかったのに」
  美愛がラカーユの死体、血は流れていないが、確かに死んでいるそれを前にして、ぽかんと口を開けていると、黒づくめの格好に、真っ黒な膜で顔を覆っている二人組みの侵入者のうち、大柄な方がそう呟いた。ラカーユに関節技を極めて殺したのが彼である。
「抵抗しなければ、ですよね」
  言ったのは、小柄な方。女性の声である。
「ああ、そうそう、抵抗しなければ殺さなかったのによ」
「美愛さん、大丈夫ですか?」
  小柄な方が全く心配そうじゃない声で、美愛に訊いて来た。
「はぁ……」
  美愛はそれだけ答えた。名前が知られていることには特に疑問をもたなかった。
「たいしたタマだな、目の前で世話役が殺されても動じねぇとは」
「――毎日、何万人と死んでいますから」
「なんだって?」
  美愛がポツリと呟いたその言葉に、大柄な方は興味を持ったようだ。
「戦争のあったときには更にその何倍も死んでいました。人が死ぬのは日常的なことです」
「だが、その何万人はお前の知ってる奴じゃない。知ってる奴が死ぬのはまた違うだろ」
「そうですね……生活を変化させなくちゃならなくなるかもしれませんね。悲しいです」
  そう言ってようやく、美愛の表情に悲しみが浮き上がってきた。しかし、涙は流さない。
「……変わったガキだ」
「――繋がりました」
  二人が話している間、黒い箱のようなものを取り出して作業していた小柄な方が、何かの報告を始めた。
「サー・ヴィレンも状況を確認して、現在首脳が交渉を開始しているそうです」
  大柄な方は、その報告に全く関係ない話題を返す。
「首脳ってのは、どうもぴんとこねぇんだよな。俺はまだ、首脳のあいつよりも首脳じゃないあいつとの方が長い付き合いだからよ」
「ちゃんと呼んでくれなくては困りますよ。これから仲間が増えていったとき、示しがつきませんから。あなたが首脳とそういった関係であろうと、私たちの活動にはプライベートは持ち込まないでくださいね」
  あくまで淡々とした言い方だったのだが、大柄な方は不快そうな声で、
「イファ。誤解してるようだが、俺とあいつはそういった関係じゃねぇ。確かに昔はそうだったが、今は単なる理想を共にする同志だ」
「わかりました、ぺドフィリアさん。ですから敵地潜入中に本名を呼ばないで下さいね」
「ああ、わかったよ」
  投げやりに返事をしてから、大柄な方は「敵地潜入中ね」と小さく呟いて、黒い膜で表情は窺えないが、恐らく嘲笑の表情を浮かべた。
  それからは、妙な沈黙が訪れた。大柄な方はちらちらと美愛の方を窺っているようだった。美愛は普段通りに本を読み始めた。小柄は方――イファは正座をしてぴくりともしない。
  やがてイファが立ち上がった。
「そうそう、頼まれた論文ですけど、今持って来ていますので、渡してしまいますね」
  イファはどこからか取り出した小さな正方形の板――記録装置の一種であるそれを、大柄な方へ差し出した。
「ああ、ども。……紙に印刷してから渡してくれな、出来れば」
「紙に印刷したら、機密漏洩の危険がぐっと上がってしまいますよ」
「字は紙に書かなきゃ読めん」
  大柄な方はその記録装置を受け取ると、手の上で弾いては受け止めるをくり返し始めた。
  イファはそれきり黙り込む。それから数分間、部屋の中には大柄な方が記録装置を弾く音と、美愛がページを進める電子音だけが聞こえていた。
  やがて、ベッドに上体を倒していた大柄な方が、むっくりと起き上がった。
「っくしょう。手出しは駄目だって言われたってよ、蛇の生殺しじゃねぇか。せめてあと二歳年食ってたら気にならんのに……」
「ああ、美愛さん、そこの人は根っからのぺドフィリアなので、気をつけてくださいね」
  言われた美愛は「はい」とうなずいて、大柄な方をたじろかせた。
  実は彼女は、身の危険というものを感じていないのだ。彼女にとって物事とは本と変わりない。本は決して彼女を傷つけない。だから彼女は危機を感じていない。
  やがてイファの持つ箱に通信が入ったようだ。それを聞き取った彼女は大柄な方に、表情は隠されているが恐らく笑顔で、言った。
「サー・ヴィレンは快く、進化派への協力を約束してくださったそうです」
「作戦終了、か。難儀なもんだな、親ばかも」
「美しい親子愛じゃないですか」
  その後もなにやら会話をしながら、二人は部屋を出て行ってしまった。
  後に残された美愛は、一つのことを思っていた。
  ラカーユさんの代わりもいい人だといいな。

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 ミアはレンヤを見つめていた。
  自分の思いが全て伝わるように。彼の思いの全てを受け取るように。
  死を感じてなお、ミアはレンヤを助けたいと思った。いや、その気持ちはむしろ高まっていった。
  ラカーユもアヤヒメも、居なくなったのだ。
  レンヤは違う。レンヤが死ぬということはつまり、レンヤを失うということなのだ。
  ミアの、唯一自分で得た考え。本から得たのではない、自分の感覚。
  死を知って、ミアはレンヤの無事だけを祈った。世界中の人々が幸せになることをひたすら祈ってきた彼女だったが、今、このときだけは、レンヤの無事だけを、レンヤの幸せだけを、今までにないほど強く願っていた。
  本からは決して得ることの出来なかった愛を抱いて、彼女は瞳を閉じる。

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 読解者は、死んだ。

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