月から落ちた死体の男

第七幕 指導者

 何を成すか。何を成すか。何を成すか。
  ヨワ・カミエの命題である。
  キグイ・サツが死に、全てが終わり、彼女には死が迫っていた。三百年以上とは、確かに生き過ぎた。だが、死の際に立ち、己は何を成すか。考えるのはそれだけである。
  彼女の体には老化が訪れていた。冷凍睡眠中、細胞は劣化を続けていたのだ。この結果は予測していたが、確実ではなかった。何しろ百年単位の冷凍睡眠の例がない。コガは健康だったが、彼の体は特別性だ。参考にはならない。
  なんでも彼の師、シャーメルが殉職した実験の際に、彼も被害を受けていたのだそうだ。その結果得られらのが、狂的な生命力と再生能力を持つ身体。その身体機能には幾度となく助けてもらった。人間として好きだったし、信頼もしていた。が、カミエは最後まで、深い部分で彼に心を開けなかった。最初の出会いが最悪だったからだろう。それはまあ、こちらから利用しようと近づいていったのだし、ある程度の行為は覚悟していたが、いやはや。あの男の内包する獣の面を見せられては、大概の人間は嫌悪するだろう。それ以外の面が優秀だし、異常性欲の対象年齢が限られている――成人女性とはごく普通に性交を行っていたらしい――為にあまり注目されないが、彼の人間性は原始人並といっていいだろう。知能指数の高い原始人。そう考えると、御し切れたのはとても運がよかったのだと思う。
  しかし、彼は死んだ。皆、死んでしまった。そして、彼女も死にかけていた。分裂を止めた細胞たちは乾燥し、体中に深い皺が刻まれている。ここ数時間で二度ほど吐血した。何かの病気にかかったのかもしれない。
  半死半生の彼女だが、最後に成すべきことを、成す為に、老体に鞭打って歩いている。全てを終わらせない為に。自らに課した責任を全うする為に。

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 イロム=ヨワは、世界政府の首脳である。
  政府とは何か。それを知っていれば、今の時代博識といわれるに充分である。
  二百五十年前、世界総合政治機関として創設され、二百年前、政府はまだ順調に機能していた。百五十年前、政府はもう必要ないといわれた。百年前、政府は邪魔だといわれた。そして今、政府というものを知っているのは学者かお年寄りだけになった。
  ギリギリの方向転換である。完全環境管理システムが完成され、政治の必要性が酷薄になった為、民衆の支持を得るのを諦め、ひっそりと私腹を肥やす存在になった。教科書にもほとんど載らず、選挙の投票率は一パーセントを下回る。法令で無茶を利かせ、しかし大きな事はせず、何のために存在するのかもはっきりしないまま、ほとんど世襲制で続いている。人々は自らが税をどこに納めているのか知らず、果ては税を納めていることすら気付いていなかったりした。この政府の存在は、現代の七不思議の一つである。
  世界政府とは、人類に秩序ある自由をもたらし、平和を維持し、正義を示し、人類全体の発展、発達を促す組織……だったらしい。
  首脳の娘であるカミエは正義感の強い子だった。隣人を愛することに意義と美を見出してすらいた。
  幼心に、書物に――昔の、だが――記されている世界政府の、首脳である父を偉大に感じ、誇りに思い、後を継ぎたいと思っていた。
  しかし、成長するに連れてカミエの世界観は激変していった。世界政府の実態を知り、父の底の浅さに気付き、怒り、憤った。
「世界は困窮しています。辺りは愚者で溢れ、それを正す者も、導く者もいません。世界政府が、今こそやるべきではないのですか?」
  カミエの言葉に、父は答える。
「別に、昔からこうだったんだ」
「ですから、今こそ――」
「何も問題は起きてないだろ」
  確かに、明確な問題はない。しかし……
  やがてカミエの憤りは、古賀と出会い、過去の追放へと結びつく。
  サー・ヴィレンは、どちらかというと資金的な面が目的で協力してもらったのだが、政治家である彼の地位を用いて政府の資金もいくらか手に入れた。政府は必死で中立を言い張ったが、民衆からは非難され、反進化派の過激派――例えば昇滅至団などに、ずいぶんと攻撃を受けたようだ。
  ちゃんとした政治をしない報いだと、カミエは思った。過去に縛られているから、何も出来ないのだ。
  政府の一機関という扱いの中で、唯一機能していた組織がある。環境局である。そこは地球の環境を管理するコンピューターの管理をする機関で、進化派が活動し始めたそのとき、今までのコンピューターから最新のコンピューターへの移行が行われようとしていた。
  古賀が言うには、
「現在最高の機能を持つ演算装置はなんだと思う? 実は植物でな。遺伝子をいじくった植物の神経に情報を送るんだ。……馬鹿げた話だ。今まで人間が作ってきた何よりも、人間が生まれる前からあった植物のほうが優れてるってんだからよ。あと半世紀としねぇうちに、地球は鉄の星から大森林惑星に逆戻りする。まったく、馬鹿げてる」
  ということだったが、カミエは半世紀なんて待っていられない。新たに生まれて来る種、進化種が生存競争を繰り広げるためには、生物に囲まれた環境が望ましい。サー・ヴィレンを通じて、その計画を早急に進行させた。
  政府自体はひどく批判されていても、コンピューターに従うことには誰も抵抗を感じなかったようで、地球は順調に植物を増やして、土を露わにしていった。元は一種類のその植物たちも、大気中、水分中に存在するスライムの影響により、すぐに進化して、様々に枝分かれして生存競争を繰り広げるはずだ。
  そうした進化派による計画の裏で、政府はもう、どうしようもなくなっていった。民衆の八つ当たりの的である。
  政府が最後に作り出した脱出用の船《AA01》も、進化派が奪い去り、改装し、エデンという船に仕上げた。
  ……この頃すでに、増えすぎた人員はカミエの思い通りに動かなくなっていた。
  不意に、自分のやろうとしていることが間違いなのでは、と思うことがあった。しかし、それを検討できる時はすでに過ぎていた。もう進むしかなくなっていた。
  彼女は責任を背負った。それが彼女の正義だった。貫くべき正義。
  しかし、彼女はエデンに乗り込み、冷凍睡眠につく前に、自分と古賀の《ウォーム》に細工をした。何かあったとき、他の人間全てを囮にして、自分たちだけ生き残りたいと思った。最初の頃に戻りたかった。
  指導者たる自分に、自信はあるつもりだった。だが、指導を求めるものたちの無能さを埋めることは出来なかった。いや、無能とは違う。そう、彼らは皆、能力があろうと、自らの行いに責任を持たない為、楽さだけを求めて、指導者にすがるのだ。それは許せなかった。はっきりと自分の意志と理想を持って、進化派の仲間になって欲しかった。
  そんな彼女の思いを嘲笑うかのように、人々は無責任に訴えてくる。
  不満を感じ始めた原因は、人員集めを急ぎすぎたことよりも、一般大衆を買いかぶっていたことだろう。一皮剥けば皆、意志の力を秘めていると思っていたが、そうではなかった。人のせいにできることなら人のせいにしようとし、人ができることならば人に任せようとする。自分では人に従うことしかせず、そして他人を批判することを好む。期待外れだった。それとも自分の方こそ、彼らを一皮剥けなかった、期待外れの指導者だったのだろうか。
  一応サー・ヴィレンとの約束は守り、星井美愛の《ウォーム》にも細工をして置いてあげた。口にした約束には責任を持つが、サー・ヴィレン本人には、娘の囮になって貰おう。
  カミエは……計画どおり、人々を囮にして、生き残った。
  彼女は、最後まで理想を諦めないことこそが、自らの責任だと思った。責任さえ取れるのならば、何でもしようと思っていた。

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 責任を取らなければならない。諦めてはならない。結果を出さなくてはならない。
  結果とは。レンヤである。彼が、進化派ただ一つの結果。最後の、結論。
  彼女は目の前にある青い星へ船を落とした。
  彼が何を見、感じ、どうしていくのかはわからない。が、何も残らないよりはましだ。
  しかし……しかしだ。自分は結局、レンヤをも犠牲にしようとしているのだ。スライムを自らに注射することもできたのに、結局彼に頼ってしまった。指導者になろうとしていたのに、結局は頼れる人間を、能力がなくても、カミエの為に行動する人間を、犠牲者を増やしていただけだった。
  いや、しかし――レンヤが犠牲になるかどうかは、レンヤ自身にかかっているといえる。
  レンヤが他人に指導を求めるか、求めずとも自らの不幸、不遇を他人の責任にするような人間ならば、単なる犠牲となってしまうことだろう。
  彼女は願う。レンヤがそんな人間ではないことを。意志を持ち、自らに責任を持ち、決断を下し、理想へと進み行く人間ならば――
  心地よい、天然の重力を感じながら、安らかな眠りに就く。

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 指導者は、死んだ。

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