月から落ちた死体の男
第一章
落ちて来た男
枯色の荒野で、一人の少年が戦っていた。
額に巻いたバンダナの上から長めの黒髪が突き立っている。東洋系の肌は浅黒く日焼けしており、その表面に玉のような汗を浮かべていた。肌着として着ているTシャツの上に、大き目のレザーのジャケットを着込み、通気性の良い、所々破けたズボンを穿いている。その腰には剣の鞘がぶら下がり、その中身は少年の右手に納まっていた。厚みのある両刃で、切るよりも叩きつけることに向いている。
少年が戦っている相手は、進化種。こめかみから角を生やし、二メートルほどの体を獣毛で覆い、鋭い牙からはよだれを垂らし、血走った目は何を見ているのかわからない。二足歩行であることだけが、それがもともと何であったのかを表していた。それはつまり、産まれたとき何だったかということではなく、種としての起源が何であるかということで、二足歩行のそれは、大抵が人類である。
少年は、彼らとの利害不一致から戦っていた。すなわち、向こうはこちらを食いたいらしいが、こちらは向こうに食われたくないのである。
少年は相手との距離を取ると、左手で手招きをして見せた。
「来い! ツノザル!」
ツノザルとは、彼がつけた名前である。
相手にしているツノザルの数は四匹。無傷とは行かなくても、どうにかなる数である。
まずは、走った後の空間に残しておいた《エアー》を起爆させ、一体目の上半身を黒焦げにした。その場でくず折れる一体を乗り越えて迫る三体は、取り囲むように散開する。少年は右手のツノザルに、小剣を握った両手を振り下ろした。ぶつけるのは剣ではなく、その柄を握っている拳である。その拳がツノザルの胸板に叩きつけられた瞬間、拳の周りを取り巻いていた《エアー》が爆発させられ、その衝撃にツノザルは倒れこむ。隣から殴りかかって来た別のツノザルの拳を小剣で受け流し、距離をとった。
「あと二匹! 楽勝かも」
しかし、今の一撃で、溜めていた《エアー》を全て使い切ってしまった。また充分な量の《エアー》が溜まるまで、時間を稼がなくてはならない。
この充填さえなければ、自分の能力はかなり強力なのに、と少年は思う。
少年は擬似進化種だった。人類との生殖能力を持っている、つまりはホモサピエンスという種なのだが、進化種のような特殊な能力を有している個体。それが擬似進化種である。
《エアーボム》と名付けた能力は、体から放つ気体を任意に爆発させられるというものである。《エアー》が少なければ大した爆発は起きないし、風が強ければ拡散してやはり威力が出ない。基本的には殴りつけて爆発させるのが最も効率的だ。ちなみに《エアーボム》は、なぜか少年の身体を傷つけることはない。
また走って時間を稼ごうと、ツノザルたちに背中を向けた、そのとき、少年の目に、見慣れないものが映った。
空から落ちてきている、先端を赤くした銀色のそれは、両端の窄んだ筒のような形をしていた。それが光の尾を引きながら、流れ星のように地面に向かっているのだ。
ハマキ型UFOだ、と少年は理解した。彼はUFOも幽霊も信じている。初めて見た。
それは、地面に突き刺さった。ここからは約一キロメートル足らずの地点である。
一瞬の後、それの着陸によってだろう、地面が揺れた。激しい縦揺れに、体が後ろに傾いた。転ぶ。
そこへ、今度は衝撃波が訪れた。まるで突風のようなそれは、少年の体を軽々と吹き飛ばして、よりにもよって、ツノザルの足元に転がしてしまった。重量のあるツノザルは、少し前傾姿勢になっただけでその場をしのいでいた。
少年が地面を背中で感じながら目を開けると、ツノザルの血走った目とがっちり視線が噛み合ってしまった。
「殺すな! 殺すな! 殺すな!」
慌ててそう唱えたのだが、あいにく少年は催眠術が使えなかった。
何とかして逃げようと両手を地面についた瞬間、ツノザルの頭が消えた。弾け飛んだとか、霞んで見えたとかではなく、まさに、消えたのだ。
目の錯覚かという少年の考えは、次の瞬間にツノザルの首から噴き出した赤い血によって否定された。
「なん、ななん、なんだよ!?」
少年は頭を抱えて逃げ出した。向かうのは、ハマキ型UFOの反対方向。ツノザルの頭が消える寸前に、あのハマキ型UFOの方向から何か黒っぽい粒が飛んでくるのが見えたからだ。この恐ろしい現象は、ハマキ型UFOによって引き起こされたに違いない。
五十メートルほど走ってから少年は立ち止まり、そぉっと背後のハマキ型UFOを窺った。ツノザルを殺して以降、攻撃してくる気配は無い。であれば、あのハマキ型UFOは味方なのではないか? 少しだけそう思ったが、やっぱり怖いから逃げようとハマキ型UFOに背を向けた。三歩進んでから、やっぱり立ち止まって、恐る恐る振り返った。好奇心に負けてハマキ型UFOに近づき始めた少年は、しかし、途中で思い直して体を反転させた。
そして、更に何度か行ったり来たりした後、少年はゆっくりとUFOへ向かい始めた。
この荒野には身を隠すものもないので、少年は潔く堂々と、UFOに向かって直進していた。歩いているうちに、やはりあの攻撃は自分を助けてくれたのだと思い始め、不安は薄れていっている。
少年はゆっくりと歩を進め、ついにそのハマキ型UFOの外壁部がはっきりと確認できる距離にまで近づいた。そこから見ると、それはやはり巨大だった。少年が今までに見た人工物の中で、最大のものだろう。銀色の、鈍い光沢のある棒状の物体を、上から下まで丹念に見回すと、ふと、その表面の、地面から高さ十メートルほどのところに穴が開いており、そこに人が立っているのに気がついた。
ヒト。それを発見したことによって、少年は先程までとは別種の恐怖を抱いた。未知の物に対するのではない、具体的な恐怖。
用心のために、少年は立ち止まると、その人間の周りに《エアー》を送った。風がないので、それはしっかりと目的の場所へたどり着いた。《エアー》の動きは感覚的に把握できている。もし微風でも吹いていたならば、あと四十歩は近づかなければならなかった。
《エアー》がしっかりと相手の元へ届いてから、少年は駆け出し、一気に相手の表情がしっかり確認できるくらいまで近づいた。
そこで気付いたのだが、相手は少年よりもわずかに歳が上なだけで、あちらも少年と呼んで差し支えはないくらい若い男だった。少年と同じ黒髪、黒い瞳、東洋系の顔立ちをしている。服装はシャツやジーンズなど、少年が写真などで見ただけの、街の人間の服装に似ていた。ただ、だらりと下げた右腕に持っているのは、少年が全く見たことのない物体だった。流線型の形で、一番近いものを上げるとすれば水筒だろうが、多分水筒ではない。
「お~い! お前、なにもんだ!」
相手からは、何の反応もなかった。
「……俺を助けてくれたんだよな!」
しかし、何の反応もない。
「……お前、名前は?」
全く、何の反応も見せない。
「……お、俺はリン=ゴールドっていうんだ」
相変わらず、何の反応も窺えない。
「……何か怪しい動きをしたら頭を吹っ飛ばすからな!」
もちろん、何の反応もありはしない。
「……ホ、ホントだぞ!」
結局、何の反応も見られなかった。
仕方がないので少年……リンは、あらかじめ作っておいた《エアー》の支流を起爆させることにした。相手の体を取り巻いている本流の隣に、細めの流れを作っておいたのだ。
少年が念じると、ボン、という音をさせて、相手の顔の横四十センチほどのところで小爆発が起こる。
「どうだ! もしなんかしたら、そのときはホントに頭を吹っ飛ばす――」
リンの言葉が止まった。相手が予想外の動きをしたのだ。
爆風にあおられて、地上十メートルの高さから、落ちてきた。かなり規模の小さい爆発だったのだが、そんな、まさか、いやしかし。
リンは、罪悪感に駆られて、もしくは良心のままに、その男を受け止めに走った。全力で走った。瞬発力には自信があるが、何しろ相手の位置が低すぎる。ぎりぎりだった。
あとわずか。手を差し伸べて、リンはそこへと飛び込んだ。
ぐしゃ、って音がした。固い地面に、後頭部から見事に着地した男は、あたりに血溜まりを広げていた。
「――おい? 死んでないよな!? おい! おい!!」
リンは駆け寄ると、目を閉じている男を揺り動かした。だが、相手は目を開けない。
「ぅお、おおおおお、おい!」
リンは動転しながらも、相手の呼吸を探った。息があった。思わず安堵の溜息が出た。後頭部も確認する。血が出ていたが、音から思ったほどの傷ではないようだった。
「ンなんだよ、人騒がせなぁ」
体の力を抜けるに任せ、リンは腰を落とすと、目の前の巨大な銀色の搭を眺めた。次に男を見て、再び視線を搭に戻す。
「…………銀月から落ちてきたのかな……」
銀月――銀色の月は丁度、東の空から真昼の青空へと昇り始めたところだった。