月から落ちた死体の男

第二章
生きる為の食事

 レンヤは夢を見ていた。
  レンヤは船が墜落する前に、すでに外部ハッチまで移動していた。人工重力を含む全システムが死んでいるので、大きな衝撃がそのまま伝わってきていたし、熱で通路は尋常でない温度になって、産毛が焦げて異臭を発していたが、レンヤはそれらを気にしていなかった。
  体が潰れるような衝撃の後に、ハッチを手動で開けた。
  何故? 出たかったのだろうか。行きたかったのだろうか。見たかったのだろうか。……逢いたかったのだろうか。
  ……わからない。
  ハッチを開けた瞬間に、ふと目に付いた少年は、今にも死のうとしているようだった。かなり離れたところで、大きな獣の足元に倒れている少年。彼は死ぬのだろうか。
  妙に、悲しかった。なぜだろう。
  レンヤは目を覚ました。
  肉体はいまだ休眠を求めているようで、ひどい疲れを感じた。レンヤは、その疲労に導かれるまま、再び眠りへと落ちていった。
  そこがどこなのかは気にしなかった。

■・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「メイは甘すぎるんだ」
  リンはそういって声を荒げた。小剣やバンダナは身に着けておらず、垂れた前髪が目にかかっているが、気にはしない。
「あら、彼をここまで運んできたのはあなたでしょう?」
  洗濯物を干しながら、落ち着いた声でそう言うのは、シルバーブロンドの女性。十代の幼さは持っているが、少女というほどではない。メイ=ゴールド。身体特徴はどれも標準的な女性である。リンと同じゴールド姓だが、血の繋がった姉弟ではない。ゴールドというのは、彼らが今いる孤児院の創始者の姓であり、この孤児院にいる二十人余りの子供たち全員がゴールド姓を名乗っていた。
  彼女は今、木造の大きな家の隣で洗濯物を干していた。
  辺りは荒野なのだが、この家の周りだけは草原が広がって、井戸があり、様々な畑もあり、一角には小さな林もあった。この一帯だけ、異常なまでに恵まれていた。
「そりゃそうだけど、せめて手足ぐらい縛っておこうって! 今この世の中が物騒なのは、メイだって知ってるだろ!」
「ええ」
  答えには関係なく、リンは説明を始めた。
「国はこの土地を狙ってるし、SS社は擬似進化種を殺しまわってるって噂だし、近くの農村じゃ悪いことはみんな擬似進化種のせいだと思ってる。あいつがどこかの回しもんじゃないっては言い切れないだろ」
「そうねぇ……でも、どれも違うと思うわよ。あの人の傷……見たでしょう? 周りは血だらけなのに、傷自体はキレイに塞がってた。彼、きっと擬似進化種よ」
「あ……そういえば、そうか……」
「それに、例え普通の人でも、まず疑ってかかるのはいけないことだわ。疑わなくちゃいけないのはわかる。でもね、死にかけている人を前にしてまで、不確かな保身を優先したくはないわ」
「そりゃわかってるよ。だから俺だってあいつを連れてきたんだ。でもさ――」
  リンには引けない理由があった。どうしても引けない。その原因は、他ならぬメイに関係していた。
  ここに連れてきたとき、空から落ちて来た男は怪我などよりも栄養失調で死にかけているようだった。というか、怪我はすでに回復していたので、問題は体力にのみあった。そこで、意識の無い彼にメイがお粥を食べさせ、汚れた体を拭き、つきっきりで看病していたのだ。聖母のようなメイとすれば、半死人を前にして当然の行いではある。が、リンにはそれが、なんかムカつくのである。
  まあ要するに、リンはメイを好いていた。
「それにほら、あんな妙な武器を持ってたし。怪しいよあいつ」
「それは……確かにそうね。でも、助けてくれたんでしょ?」
「ああ。でも――」
「この話は終わりにしましょう。後はあの人が起きてから話を聞けばいいわ」
  洗濯物を干し終えたメイは、空になった篭を家の軒下に置き、離れの小屋へと向かっていった。その小屋は倉庫なのだが、今はベッドを置いて、落ちて来た男を寝かせていた。
  基本的にこの孤児院には個室がない。家の中には仕切りが無く、一つの大部屋になっていた。大部屋の端に孤児院の人間全員のベッドが置いてあり、中ほどに食事や勉強の為の大きな机、ベッドと反対の端に調理場がある。そこと、外にある汲み取り式トイレと入浴場が、生活空間の全てだった。
  そんな個室のない孤児院に不審人物を置いておくのは、さすがに不安が過ぎる。というわけで、落ちて来た男は倉庫に隔離されているのだ。
  メイの足がその倉庫に向かっているということに、リンは更に機嫌を悪くした。
「……わかったよ」
  一応返事をすると、足元の草を蹴り散らしながら、家の方へと戻っていった。

■・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 レンヤは夢を見ていた。
  そこには彼女がいた。
  愛している、彼女。
  レンヤには、これが夢だということがわかっていた。悲しかった。涙が出てきた。
「レンヤさん?」
  レンヤはそこにいる彼女の肩を掴んだ。離れないように、放さないように。しかし、それは無理だ。
「……ミア。これは夢なんだ。夢でもいいんだ。この夢にずっといれるのなら、僕は死んだって構わない。でも、無理なんだ。なんとかしたい。ここにいたい。君を連れて行きたい。離れたくない。放したくない。なんとかしたいんだ。でも……なんにも出来ない……」
  辛かった。失われるとわかっているのに、手に入らないとわかっているのに、目の前にそれがある。とても辛かった。
「えっと……よくわかりませんけど、私にとってはこれは現実です。レンヤさんとはずっと一緒ですよ」
  レンヤは内臓がうねるような感覚を感じた。気持ち悪い。辛い。苦しい。嫌だ。ずっと一緒にいたい。嫌だ。嫌だ。嫌だ。
  レンヤは涙をぼろぼろ流しながら、意識を失った。それは目覚めだった。
  ベッドの上で目を覚ましたレンヤは、涙を流してはいなかった。レンヤはもう一度あの夢を見たいと思った。どんなに辛くても、今よりはましだ。あの気持ちも、自分の彼女に対する思いの一部なのだから。
「名前はなんていうの?」
「レンヤ――」
  ふと答えてから、レンヤは慌てて上体を起こし、声のした方を振り向いた。振り向いた先では、椅子に腰掛けた少女が驚きの表情を浮かべていた。
「……お、起きてた……んですか。レンヤさん……でいいんですよね? 名前」
  レンヤは彼女のことは無視して、自分の周りを見回した。壁が木で出来ている六畳ほどの部屋の中に椅子や毛布などが置いてあり、なぜか一緒に農具のようなものも置いてあった。彼は農具というものを実際に見たことはなかったが、写真で見たことくらいはあった。彼の寝ているベッドだけどうも不自然だが、恐らくここは倉庫か何かだろう。
  周りを眺めるレンヤの様子に、隣の少女が説明を始めた。
「ここは大陸中部の荒野の真ん中辺り……カンマイ山の麓辺りって言えばわかります?…………あの、言葉はわかりますよね?」
  レンヤは何の反応も見せなかったが、彼女の言葉は聞いていた。昔、少しだけ見た地球の地図を思い出したのだが、大陸といえるようなところは二つから四つくらいはあった。日本語圏ということは、アジアのどこかだろうか。
「……私の言葉、わかりませんか? キャンユースピーク?」
  英語らしきものに続いて様々な、レンヤの聞いたこともない言葉を話し始めた。
「――日本語しかわからない」
  出来るだけぶっきらぼうにそう言った。楽しく会話をするような気分ではなかった。
「え……あ、そうですか。よかった。あの、私はメイ=ゴールドっていいます。私も東語以外じゃまともに会話できないんですよ。子供たちの中にはバイリンガルもたくさんいますけど、大陸外の言葉じゃお手上げで、それを心配してたんですよね」
  メイはなぜか嬉しそうな笑顔で言った。
「あ、そうそう。子供って言っても、私の子供じゃありませんよ? ここって孤児院なんです。あなたに助けていただいたリンも、ここの子なんです。あ、まだお礼を言ってませんでしたね。その節は本当にどうも、ありがとうございました」
「助けた?」
「え!?」
  レンヤが聞き返すと、彼女は表情を強張らせた。
  メイの抱えていた一抹の不安……レンヤはリンを助けようとはしていたのではなく、単なる殺戮を行ったのではないか、リンは偶然その場に居合わせただけではないか……それがすこし現実味を持ってしまったのだ。
「た、助けたんですよね? リンが進化種に襲われていたところを……なにか、凄い武器で、遠くから……ですよね?」
「…………」
  訪れてしまった沈黙に、メイはうっすらと脂汗を浮かべ始めた。
  レンヤは、そんなメイには気付かずに、自分を覆っている毛布を見つめながら思案を巡らせていた。少年が妙な獣に襲われていたのは覚えている。あれが進化種というものだったのだろうが、助けた記憶は全くない。凄い武器というのは恐らく、当たったところに穴を開ける、あの妙な銃だろう。持っていた覚えはないが、持っていなかった覚えもない。ミアを失ってからの記憶は、ひどくあやふやだった。しかし、話からすると、自分は本当に少年を助けたようだった。
  何故。それだけがわからなかった。墜落のとき、自分が外部ハッチに向かっていたのも不思議だった。死ぬことも気にならなかったのに。生きようとは思っていなかったのに。何もかもが辛く、苦しく、嫌だったのに。
「何故……」
  思わず口にしたその言葉に、メイは不思議そうな顔をした。
「えっと、それはだから、リンが何か飛んできたものが進化種に当たった瞬間に、進化種の頭が吹き飛んで、それの飛んできた方向には、あの不思議な物を持ったあなたがいたって、だから……助けてくれたんでしょう?」
  レンヤは彼女の言葉を聞いているうちに、確かに自分があの獣を倒したような気がしてきた。だが、やはり、何故。
  呆然としているレンヤを困ったように見つめていたメイだったが、やがてゆっくりと立ち上がった。
「お腹すいてません? 一応、寝てる間にお粥を食べてたんですけど、覚えてませんよね。今、何か持ってきますよ。リクエストはありますか?」
  一旦彼女の方を向いたレンヤはしかし、すぐに視線を自分の膝に戻してしまった。
  メイは少し肩を落として、小屋から出て行った。
  レンヤは、自分が寝ている間に食事をしていたということが少し、嫌だった。自分はミアを失ったことが辛くて、食事も喉を通らないと思っていた。しかし、無意識のレベルで栄養を求めていたことが、嫌だった。
  レンヤは、自分はどうしたいのか全くわからず、ひどく困惑していた。

■・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 リンが小屋の中へ入ると、レンヤはベッドの上で上体を起こし、毛布の一点を見つめていた。リンが入ってきたことに対してはノーリアクションである。リンは少し腹が立った。
「レンヤっていうんだってな」
  いわれて、ようやくレンヤはリンの方を向いた。しかし、その視線はどこを見ているのか定かではない。
「メイから聞いた。なにやってたんだよあんた、三日も寝ちまうなんて。おまけにこの荒野にそんな薄布一枚羽織ってやってくるなんて。厚地の布に通気性が基本だろ」
  リンは、レンヤが無反応なのを見て、大きくため息をついた。そもそもに、リンはこれらの言葉が全て無意味なのを知っている。
「……あんた、銀月から来たのか?」
  真面目な口調で聞いたのだが、レンヤはやはり無反応だった。
  レンヤの乗っていたUFOの話は、まだ誰にも教えていない。皆を不安にさせたくないのと、自分の中でその事をまだ確信できていなかったからだ。
「……銀月だよ銀月。空に浮かんでる、でっかいの! のっぺりしてる方の月だよ!」
「銀……月……」
「そう! 銀月から来たんだろ?」
  声を荒げたがしかし、やはりレンヤは答えなかった。こうして話していると、まるで廃人を相手にしているようだ。
「あんたの乗ってたUFO、銀月とおんなじ色してたし、持ってた道具だってわけわかんねぇし、だろ?」
  しかし、レンヤは黙りつづける。
「何とか言えよ。ったくよぉ」
  銀月のことだけ訊きたかったリンは、答えが聞けないとわかると、そこから出ていくために扉を開けた。
「俺、おまえ、なんか覇気がないから、嫌いだ」
  そう一言言い残して、出ていった。
  それと、メイが親切にするのが気に食わない。とは、口にはしなかった。

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 少年が出て行ってすぐに、メイがやってきた。
「お待たせしました。リンが来てたみたいですね。なに話してたんですか?」
「――銀月とは、なんだ?」
  レンヤから積極的に話をしてくるとは思っていなかったメイは、驚きの表情を見せた。
「銀月……ですか? それは、だから、あれですよ。空にある、白っぽい方の月です。レンヤさんは違うように呼んでたんですか?」
「どんなものなんだ?」
「え、それは、有力な説では、昔、人間の中に現れた神を目指す一団が、天を目指して上っていって、神の怒りに触れて地上へ下りることが出来なくなっているとか、死んだ人の魂が向かうところだとか」
  神の怒りや魂が有力説ということは、この世界は宗教が強い影響力をもっているのだろうか。
  レンヤが黙っていると、メイはふっ、と微笑んだ。
「でもまあ、私が信じているのはもっと別なのですけど。それは昔の人の、一部の人たちが他の人たちに絶望して、空の上へ飛んでいってしまったっていうもので……結構この説は嫌いな人が多いですけど、いかにも人間らしいし、少しロマンがあると思いません?」
「ロマンなんてない」
  メイも半ば答えを期待していなかったこの問いに、意外にもレンヤは答えてきた。
「ロマンなんてない。全く」
「……そうですか? でも、私たちは今生きています。そこそこ幸福に、生きています。私の想像ですけど、銀月の人たちよりもきっと、幸福に生きていると思います。突然不条理な死を強制されることも多いですけど、その分、しっかり生きています。他人に絶望した人たちよりも、惨めでも、不便でも、それでも他人と一緒にがんばってきた私たちが幸福に生きている。ロマンじゃないですか」
  レンヤはどうしても、そうは思えなかった。彼にとって銀月は空想の元ではなく、確たる現実なのだ。
「――人々が絶望したのは何百年前の話だ? 実際に今不幸になっているのは、何の選択もしていない者たちだ。ロマンなんて、ない」
「え……?」
  それから暫くの間、その場を沈黙が支配した。
  やがて口を開いたのはメイだった。
「……言われてみれば、確かにその通りですね。レンヤさんは、変わった考え方をしますね」
  レンヤは何も言わなかった。
  不思議な空気が流れ、部屋の中には遠くから聞こえてくる子供のはしゃぎ声だけが流れていた。落ち着くような静けさだった。
  沈黙を終えたのは、やはりメイの言葉だった。
「料理、冷めちゃいますね」
  今まで気にしていなかったが、メイは料理を載せた盆を持ってきていた。トースト、卵二つの目玉焼きと、マヨネーズドレッシングのサラダ、ミルクといった献立である。
「とりあえず、肉は胃に重いかと思って、代わりに卵を使ってみたんです。……やっぱり東洋系の方はご飯が良かったですか? この辺りは雨が降らないので、田んぼが作れなくて、お米はあんまり置いてないんです」
  レンヤは食べようかどうか迷っていた。食べようとすれば食べれるだろう。だが、自分は悲しみのあまり食欲を失っていたかった。食べるのは、ミアに対する裏切りのように思えた。
  食事に手を伸ばさないレンヤを見て、メイは何を感じ取ったのか、レンヤの手を取った。
「――辛いことがあったんでしょう? ここにはそういう子が多いから、わかります。そのせいで食欲がないんですか? 悲しいときこそ、食べなくちゃ。食べて、考えて。自分がどうするべきか、考えてみてください。ね?」
  優しく、そう語りかけた。しかし、レンヤは反応を示さない。
  メイはレンヤの手にパンを握らせたが、レンヤはそれを食べようとしない。メイはパンを一口大にちぎると、レンヤの口の中に押し込んだ。レンヤの口を抑えて、その瞳を覗き込み、やはり優しく、しかし強く、言った。
「噛んで、飲み込んで」
  暫く沈黙していたレンヤだったが、やがてゆっくりと口と喉を動かし始めた。飲み込むと、またメイがレンヤの口に食べ物を押し込んでいった。
  やがてメイは、空になった食器を持って扉を開けた。そして出て行き様振り向くと、笑顔で言った。
「いつまでも、ここを居ていいですからね」
  言われて初めて、ここから出て行くことを考えていなかったことに気がついた。

■・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 次の食事のとき、レンヤは自ら食事を口へと運んだ。

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