月から落ちた死体の男

第三章
襲い来る獣

 ばたん、という音がすると、辺りではしゃぎまわったり、野良仕事をしていた少年少女たちは凍りついてしまう。皆動きを止め、ちらちらと、倉庫の扉を開けて出て来た男の様子を窺う。
  レンヤがトイレへ行くときの、子供たちの反応である。
  レンヤは起きたとき、なんというか、恥ずかしいことなのだが、必要であって、あまり恥ずかしがるべきことではないのだろうが、とにかく、オムツをしていた。
  最初は気付かなかったが、立ち上がろうとして腰の違和感に気付いた。不審そうな表情をして腰の辺りを探るのを見て、その場にいたリンが説明してくれた。
「オムツしてんだよ、半死人」
「なに?」
「オムツだよ。何日も寝たまま、飯だけ食ってたし、どうせ起きたって歩けないだろうから着けといたんだよ、半死人」
  そう言われた直後にすたすた歩いて見せたら、リンは素直に驚嘆していた。
  というわけで、レンヤはトイレに行くときだけは倉庫の外に出た。逆に、それ以外の時間は倉庫の中で過ごした。
  時々やって来ては勝手に喋っていくリンやメイの話から、この世界の大まかなことは理解できていた。
  まず、ここは世界の三大陸の一つで、セイデンブ大陸というところの中心部らしい。東に行けば日本語圏が広がり、西や北に行くと英語圏、南に行くと様々な言語が入り混じっているという。
  この土地は荒野の中にあるのだが、冒険者をしていたゴール=ゴールドが井戸を掘り当て、迫害や、能力の暴走で家族を失った擬似進化種の子供たちを集め、孤児院を開いたのだという。ゴールという男も擬似進化種で、水や風、炎など、自然の流れを読み取る能力を持っていたそうだ。気象予報士に向いている。その能力で水脈を掘り当てたらしい。彼は一昨年亡くなっているそうだ。
  最年長のメイだが、まだ十八歳である。孤児院が作られた当初は彼女より年上の人間もいたのだが、皆自立して冒険者になっているか、不幸な事故で他界してしまったそうだ。
  冒険者というのは、世界を旅する人間のことで、進化種の毛皮や骨、角などの他、旧文明の遺跡から発掘される道具や金属類を売って生活している。彼らの旅は金銭目的ではなく、知的好奇心に突き動かされるままに旅をしている場合が多い。地図の空白は人類の財産である、とは伝説の冒険者、キューブ=セイムの言葉だが、レンヤはもちろん知らない。
  レンヤはこの世界についての知識を得ても、いまだやることが見つけられないでいた。
  何かしなくては、という思いはあるのだが、その思いはなかなか具体的な像を結んでくれなかった。
  そうこうしているうちに、レンヤが目覚めてから一週間が過ぎようとしていた。

■・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 その日は、朝から孤児院全体の雰囲気が変わっていた。
  あまり活発に遊ぶ者がおらず、代わりに考え事をしている子供たちが増えた。
  彼らが考えることはただ一つ、お小遣いの使い道である。
  今日は週に一度、行商人がやってくる日なのだ。
  内陸も内陸、大陸のど真ん中の上、特にこれといった資源の無いこの辺り一帯には、滅多に人が訪れることは無い。そもそもこんな、中継地となるような集落も無い、凶暴な進化種は多い、横断するためにはそれなりの装備のいる荒野などに、誰が好き好んで足を踏み入れようか。
  ここにやってくる行商人は、ゴールが孤児院を作ったときから来て貰えるよう頼んでいる相手であった。
  彼が来る一日は、誰かしらの叫び声から始まる。
「おっちゃんが来たよ~!」
  その声を合図に、子供たちが孤児院を囲う塀の、門のところに集まってくる。
  メイが子供のときからおっちゃんだったおっちゃんは、独身で大陸東部の出身ということしか知られていない。コスト削減と言って御者も警護も連れず、一人で二頭引きの大きな馬車に乗ってやってくる。大陸東部の商品を大陸西部に、またその逆に西部の商品を東部にといった大陸内貿易を行っているそうで、主に海路輸送を行っているが、内陸部の交易に関しては陸路も使い、この荒野をそのルートの一部にしてくれているらしい。
「おっちゃん、こんにちは!」
「うん、こんにちは~」
  恰幅の良いおっちゃんは人のいい笑顔を絶やさず、のんびりした口調で子供たちと挨拶を交わしてから、馬車のほろを上げた。すると、様々なお菓子や衣類、おもちゃが表れる。
「おっちゃん、これちょうだい!」
「これいくら?」
  などとはしゃぐ子供たちは、手にしたわずかばかりのお小遣いをどう使うか、真剣に悩み、何かを手に入れると満足して走っていって、少し離れた場所でお菓子を食べたり、おもちゃで遊んだりし始める。
  やがて子供たちが落ち着き始めると、メイが数人の子供に、畑で採れた野菜を運んでこさせた。
「こんにちは。ご苦労様です」
「やぁやメイちゃん、こんにちは」
  おっちゃんはこの孤児院で採れた野菜を買っていってくれる。かなり高く買っていってくれる。
「いやぁ、ここの野菜はね、美味しいって評判なんだよ」
  おっちゃんは、ここの野菜はもっと高く売れるだろうから、より高く買い取るとさえいってくれたこともある。勝手に高く売って自分の利潤を増やせば良いのに、そうしないところがおっちゃんの親切なところだった。その話自体は、出来るだけ安く売って欲しいというメイの要望で、お流れになっていた。
「じゃあ、これだけね」
「ありがとうございます」
  おっちゃんから受け取ったお金で、すぐに買い物をする。ここの畑で取れない野菜類や、調味料、消耗した道具類などを買い、あとは様々な雑誌を一冊ずつ購入する。この雑誌は孤児院の中に置いておいて、自由に読めるようにしておく。余った分のお金は、子供たちにお小遣いとして渡す。
  おっちゃんは一、二時間ほどの商売の間に馬を休ませ、水を補充させてもらう。
  買った品物を建物の中に運び入れるのが一段落したメイに、おっちゃんが話し掛けてきた。
「――メイちゃん、誰か、来てるの?」
「え、どうしてです?」
「いやぁ、いつもより野菜の売りの量が少ないし、食料を買ってくれる量も多いから、そうかなぁって」
  メイは暫く思案した後、おっちゃんなら信用できるだろうと、打ち明けることにした。
「実は、不思議な旅人さんがいるんです。全然自分のことは話さないんですけど、リンを助けてくれて、でもなんだか衰弱してて、今は療養中なんです」
「へぇえ。ちょっと、会えないかな?」
「え……」
  メイは困惑した。こんなことを言われると思っていなかったし、どうすればいいのかわからなかった。
  黙っているうちにおっちゃんが察して、何か言ってくれるのではないかと期待したが、その様子はなく、どうしたものかと思っているうちにリンが口を挿んできた。
「いいじゃん、ただ会うくらい。レンヤ、塞ぎこみ過ぎなんだよ。今のうちに社会復帰のめど立てないと、引き篭もるよ、あいつ」
  確かにそれは、メイも考えていたことだった。レンヤはどうも内側に向かっていっている。もうちょっと外を向いてもらいたいし、その為に誰かともっと話をしてもらいたかったのだが、子供たちをあの気難しそうな人に会わせるのはどうかと思っていたところだ。リンにそういわれて、断る理由は無かった。
「じゃあ、あの倉庫にいますので、一緒に来てください」
  人のいいおじちゃんは、馬車をそのままにしてついてきた。リンはついてこなかった。
「入りますよー」
  ノックをしてから扉を開けると、レンヤがベッドの上で上体を起こしていた。
「今日は、ここに通ってくれている商人さんがきてるんで、会って見ませんか?」
  メイが予想していた通り返事は無かったので、勝手におっちゃんを招き入れた。
「やぁやぁ、どぉもどぉも」
  人のよさそうな笑顔のまま入ってきたおっちゃんは、ベッドの隣まで歩み寄った。
「君が、レンヤ君かぁ。出身はどこかなぁ?」
「…………」
「あぁ、えっとぉ、冒険者なのかい?」
「…………」
「……言葉、わかるよね?」
  この質問にはメイが答えた。
「はい。時々は話し掛けてくれるんですけど……すみません。私たちにもこうなんです」
  と、メイが気まずそうな笑みを浮かべると、おっちゃんはしきりに頭を掻きながら、
「いやいやいや、はいはい。こちらこそ、興味本位で会いに来たけど、なんだか間が悪かったみたいだね。じゃあ、おっちゃん帰るよ、レンヤ君」
  そう言って、のっそりと倉庫から出て行った。
  メイに謝られて、しきりにあたまをかきながら、おっちゃんは馬車に乗って去っていった。

■・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 赤い髪の男が一人、寝転んでいた。
  荒野の真ん中の、岩の上である。かなりの熱を持っているであろうその岩に、赤を基調にした、袖もなく首周りや腹部を晒した露出の多い服を着ていながら、平気な顔をして寝転がっていた。
「……ふぁ~~あ……」
  大きく欠伸をすると、それにつられたかのような腹の虫がなった。
  男は苦笑を浮かべながら起き上がると、辺りを見回した。やがてその目は、空を漂う黒っぽい鳥を捉える。
  男は軽く息を整えてから、腰につけてあった……なんといおうか、つまりは『柄』を抜き放った。剣ではなく、柄である。両手持ちらしい、二十センチ以上ある柄の先を被っている鞘は、五センチ程度しかない。もしこれが刃物だとしたら、両手で握った大きな柄の先にちょんととがった刃がある、滑稽な姿になってしまう。
  だが、男が抜き放った柄には、一メートル足らずの『刃』がついていた。それはそもそもに異様な『刃』であった。根元の部分は真っ直ぐ伸びているのが、途中でかくんと傾き、その後にまた根元と同じ向きに真っ直ぐになっている。三本の直線を組み合わせたような、実用性がないのではないかと思われる、奇妙な刃だった。さらに奇妙なことに、その一メートル足らずの刃は五センチほどの鞘から現れたのだ。
  男がその剣を振りかぶると、その刃を赤々とした炎が被った。
  上空に狙いを定め、振り切る。
  すると、空の上からさきほどの鳥が、程よく焼き上がって落ちて来た。
  にやりと唇を吊り上げてから剣を、とても収まるはずのない鞘の中に収め、鳥に近づく。
「ん~、どれどれぇ」
  早速脚の肉をもいで口にしたが……顔をしかめて吐き出してしまった。
「……うえぇ」
「そのコードリアという鳥は味も悪いし、何より口に入れた瞬間、臭すぎて吐き出しますよ」
  男の後ろには、小太りの男が立っていた。頭にかぶったフードの陰で、顔は見えない。
「先に言えよ」
「今帰ってきたばかりでしたので」
「で、どうだった?」
  赤髪の男は振り返りもせず、ほとんど答えの決まりきった問いを、一応訊いておかなければならないので訊いた。
  が、帰ってきた答えは、予想外のものだった。
「現れました。異人鬼です」
「そうだよな。異人鬼なんてそうそういるわけねぇ……なにぃ!?」
「また、ベタな反応をしますね」
「間違いねぇのか!?」
「頭髪を採取して検査しましたから、間違いありません」
  赤髪の驚いていた表情が、段々と鋭いものに変わって行く。
「――仕事だな」
「ええ」
「よし、どんな奴だった? 今すぐ始末しに行ってやる」
「サックル、我々はこの作戦に関しては隠密行動。異人鬼以外の人間に姿を見られることは極力避けるようにしませんと」
「んじゃあどうしろってんだ。俺の《炎》の有効範囲は三十メートル無いぜ? 狙撃は無理だ」
「私の能力を使います」
「だがお前の《躁》じゃ、孤児院のガキどもまで危険じゃねぇか」
「作戦内での優先度を考慮すれば、仕方のないことです」
  その冷静な声を聞いて、赤髪は不機嫌そうな顔をした。
「……だから〈シールド〉は頭が固いってんだよ。何も感じないのか?」
「そうですね。ちょっと心苦しいですけれど、作戦のほうが優先です」
  遠くにあって見えるはずのない孤児院を見るように顔を上げた男の顔は、ついさっき孤児院に来ていたおっちゃんのそれだった。
「私はリン君という少年を高く買っていましてね。ゴール仕込みの剣技に加え、破壊にしか使えない能力がいい。彼ならば被害を最小限で抑えてくれるでしょう」
「したら、異人鬼も仕損じるってことはねぇのか?」
「そのときは、我々が直接出向かなくてはなりませんね」
「何で最初っからそうしねぇんだよ」
「作戦内優先度から、仕方がありません」
「……やっぱ〈シールド〉の人間ってわけわかんねぇ」

■・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 おっちゃんが来た次の日。
  孤児院は特にどうといったこともない、普通の朝を迎えていた。
  朝食を運んできたメイが、雑誌に載っていたという隕石の記事を話題に上らせ、「この日は大きな音を聞いたけど、もしかしてこの隕石だったんですかね」とかいうことを話して帰っていったっきり、レンヤの元へは誰も訪れていない。
  レンヤはその記事から、どうやら自分の乗ってきたあの船は捜索もされていないようだと安心した。あの中には、ミアの……身体がある。彼女を失った後、カミエが皆の遺体は眠らせておいたと言っていたから、きっと未だ……冷凍されて残っているはずだ。
  あの時の彼女の姿をはっきりと思い出しそうになって、慌てて楽しかったときの記憶を思い出した。逆に辛くなった。
  レンヤが鬱々と時間を過ごしていると、なにか叫び声や重厚な足音、爆発音が聞こえてきた。
  レンヤがどうするべきかと思案しているところに、リンが駆け込んできた。
「レ、レンヤ!」
  彼は最初に見たときのバンダナを頭に巻いて、右手に小剣を握っていた。
「大変なんだ! ツノザルの群れが、進化種が襲ってきて、たくさん、やばいんだ! 俺だけじゃ、とても……手伝ってくれ!」
  彼は左手に持っていた、レンヤにとっていい思い出のない銃を毛布の上に投げて寄越した。
「それ、俺じゃあ上手く使えない。敵の数が多すぎるんだ。頼む」
  そう言われても、レンヤはぼうっとした表情のままだった。
「……っくそ! いいよ、もう!」
  リンは荒々しく扉を開けて、外に飛び出していってしまった。
  何か言おうとして口を開いていたレンヤは、一度ため息をついてから、
「――話、聞けよ」
  そう言って、腰を上げた。
  地上に降りてきたとき、自分は何故彼を助けたのか……それが、自分の生きていく目的に繋がるのではないかと、そう思っていた。

■・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「っでゃぁぁ!」
  小剣をツノザルの脳天に突き刺した。即死である。そのツノザルの肩を蹴って跳ぶと、傍のツノザルの前に着地し、そのツノザルに《エアーボム》を見舞った。
  もう倒したツノザルの数も二桁に上ったリンの周りを、四匹のツノザルが取り囲んだ。
「っちきしょう!」
  リンは目の端で、子供がツノザルに襲われているのを捕らえると、自らの身も省みずに、ツノザルの脇を抜け、子供を助けに走った。その際、ツノザルの爪で肩の肉が抉れたが、致命傷ではない。そのうち勝手に回復するはずだ。
  今までにもツノザルが襲ってくることがなかったわけではない。だが今回は、数が尋常ではない。この荒野にいる全てのツノザルが集結しているのではないかと思うほどだった。それに朝と昼の中間という時間帯が最悪だった。畑仕事に出ている者も多いし、少し離れた海まで釣りに行っている女の子二人は特に気がかりだった。
  ちなみに、大陸南側の海岸の一部は、大きく内陸に窪んでいる。その窪みがこの近くまできているのだが、そこは陸からは険しい山脈で隔絶され、岩礁で船も立ち入ることの出来ない海だった。孤児院と海とを遮る山に、子供たちがそれぞれの能力を駆使して五年かけてトンネルを掘り、釣り場としていた。
  あのトンネルに、ツノザルが気付かないことを祈るしかない。
  今はただ、リンはシャツを血に染めながら、ツノザルたちを倒し続けていた。
  家の中に逃げると、押し入られた場合に逃げ場がない。子供たちはバラバラに逃げていた。戦いに使える能力を持っている者もいるにはいるが、そういった能力をちゃんと制御できているのはリン以外にはいない。
  自らよりも他人を守ることを優先しているリンは、どんどん傷を負っていった。体力も底を見せ、傷の治りは著しく低下している。
「くそっ、くそっ、くそお!」
  段々動きが乱れてくる。その為に傷は増え、更に動きが乱れる。その繰り返し。ついに、ツノザルの一匹に死角に入られてしまった。爪の振り下ろされる音を聞いた瞬間、リンはごく客観的に、死ぬと思った。
  しかし、その一撃はリンには届かなかった。
  周りに注意しながらそのツノザルに目を向けると、頭と腕が無くなっていた。
  そのツノザルの死体の向こうにいる人物を見たリンは、表情を輝かせた。
「レンヤ!」
「…………」
  レンヤは答えずに、周りに見えるツノザルに銃を撃った。ほとんどが頭を失い即死だったが、少し遠いところでこちらを見ていたツノザルは弾をかわした。その後に続く銃弾もかわしながら近づいてきたツノザルは、突然上半身を爆発させて倒れこんだ。
「ど~だ! でも、一匹仕留め損ねるなんて、レンヤも大したことないじゃん」
  リンが血を拭きながら言ったその言葉に、レンヤは表情こそ変えなかったが、突然腕を持ち上げて引き金を引いた。すると、その腕の直線上にいたツノザルが、頭を失って倒れた。恐ろしい精度を見せつけるように。
  先ほどレンヤが的を外した理由は二つ。一つはこの武器の攻撃はどうしても直線的になるので、ある程度以上の運動能力があれば簡単にかわせること。もう一つは、レンヤに相手の動きを読む力がほとんどないことである。
「……やっぱすげぇ」
  小難しいことは考えず、ただレンヤの的を――止まっている的を――射る正確さに唖然としていたリンだったが、気を取り直して、
「でも、レンヤが来てくれて助かったよ。とりあえず、俺はあっち側に行くから、レンヤは――」
  レンヤはリンの言葉を聞いていないようで、関係ないことを口にした。
「お前に、守りたい者はいるか」
「え?」
「お前に、守りたい者はいるか」
  とっさに意味が取れず、不思議そうな表情をしていたリンだったが、やがてはっきりと、
「皆。この孤児院の皆だ」
  そう答えた。だが、レンヤはもう一度訊いた。
「どうしても失いたくない者はいるか」
「だから、孤児院の皆だって言ってるだろ!」
  段々といらだってきたリンに対して、レンヤは静かに首を振った。
「違う。他の何を犠牲にしても、守りたい者はいるのか」
「……なに?」
「他の全てを失っても、唯一、放したくない、失いたくない者はいるか」
  リンはその問いに戸惑っていたが、レンヤが真面目な表情なのを見て、正直に答えた。
「メイ。メイだ」
「……わかった」
  レンヤはうなずくと、首を巡らせ、ある一点に向かって走り出した。
「あ、レンヤ、でも――」
  リンが声を発したときには、レンヤは視界からいなくなっていた。林の中に突っ込んでいったようだ。
  リンは緊張していた顔の筋肉をほぐしながら、大きくため息をついて、
「――話、聞けよ」
  そう言って、自分も別の方向に走り出した。

■・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「レ、レンヤさん!?」
  レンヤが駆けつけたことが心底意外だったのか、メイはツノザルたちのことも気にせずに声を上げた。
「どうしたんです、一体?」
「――助けに来た」
  その言葉を聞いた瞬間、メイの瞳は輝いた。やっぱりいい人だったんだ、と確信しての輝きである。メイの隣で怯えていた数人の子供たちも、表情に安堵の色を浮かべた。
  メイの瞳が輝いたのは一瞬のことで、彼女はすぐに冷静さを取り戻した。
「あの、それなら私たちは平気なんで、他の子達を助けてあげてください」
  真剣な表情でそう言ったのだが、レンヤは首を振った。
「君を、助ける」
「え……それって……!?」
  メイは驚きに目を見開いた後、頬を赤く染めた。それだけでなく、手を合わせたり、その手を頬に当てたり、目をこすったり、ため息をついてレンヤを見つめた後、慌てて視線を外したりと、挙動不審である。
「あ、あの、私……」
「?」
  さすがにメイの行動を不審がったレンヤの表情をどう受け取ったのか、メイは、
「……今は、そういう状況じゃ、ありませんから……」
  レンヤはますますもってわからない。どういう状況ではないというのだろうか。
  とりあえずレンヤのことは一段落つけたつもりのメイは、真面目な表情に戻って呟いた。
「皆、無事かしら……」

■・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 リンが皆に戦いが終わったと言って回ったのは、レンヤがメイを見つけてからすぐのことだった。
  レンヤが移動しながら、目に付いたツノザルを撃ち殺していってくれたお陰だった。
  リンは一通り皆が落ち着いた後、海に行った女の子たちの安否を確認するために、走っていった。やがて一人で戻ってきたリンは、荷車を引いて、もう一度出て行った。終始無言だった。察したメイもついていった。
  今度戻ってきたとき、荷車の上には、布に覆われた二つの小さなふくらみが乗っていた。

inserted by FC2 system