月から落ちた死体の男

第四章
燃え上がる炎

 墓が、あった。
  ツノザルたちの襲撃から一夜が明けていた。
  この孤児院には特定の宗教はない。慣習的に遺体は土葬し、一緒に植物の種も植える。その上に、名前を刻んだ石を置く。やがてその名前は樹の名前となる。新しい石の近くには、やや風化した石と一緒に、背の低い名前のある木々が並んでいた。
  皆静かに祈りをささげた。手を合わせる者や手を組む者、ただ直立する者もいる。
  最前列にいるリンは、ただ直立していた。
  静かだった。
  普段の喧騒がなくなった孤児院には、どこからか聞こえてくる鳥の声だけが響いていた。
  特に何のきっかけもなく、しかし一斉に、祈りの雰囲気はとかれた。所々で長く息が吐かれるが、誰も声を発さない。
  やがてリンが、振り向くことなく言った。
「ありがとう」
  成り行きでこの葬儀に参加していたレンヤは、リンの言葉が自分に向けられていることを感じとった。
  リンは言葉を続ける。
「あんたがいなかったら、もっと被害は大きかったと思う。ありがとう」
  レンヤはなんと言っていいかわからず、視線を足元へ向けた。次の瞬間、リンはレンヤの顔面を殴りつけた。
  倒れる前に踏みとどまり、困惑の表情を浮かべるレンヤの前で、リンは泣きそうな表情をして叫んだ。
「何で助けてくれなかった!! あんたなら助けられただろ!! あんたなら……」
  レンヤがやはり何も言えないでいる内に、リンは走り去っていった。
  周りにいた子供たちも、気まずそうに去っていった。
  レンヤは自分の頬をさすった。大した衝撃だったのに、痛みは感じていなかった。

■・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 何をしていいのかわからず、また何をするべきなのかもわからず、レンヤは自分の部屋である倉庫の、ベッドの上にいた。
  日が高くなってきた頃、メイが訪れた。
  メイは今朝からずっと黙り込んでいた。
「――ずいぶん遅くなっちゃいましたけど、朝食です」
  メイはいつも通りの朝食を、ベッドの隣にある机の上に置くと、そのまま部屋を出て行こうとする。いつもならレンヤが食べ終わるまで、隣で何かと話しているのだが。
「あ――」
  どうしたらいいのかわからず悩んでいたレンヤは、メイが何か助けになるようなことを言ってくれるのではないかと期待していた。だから、彼女が黙って扉の外へ出ようとしたとき、思わず声を出してしまった。
  声に振り向いたメイは、レンヤと視線を交えた。レンヤは言うべき言葉が見つからない。メイも口を開かない。ただ、見つめあった。
  やがて沈黙を保ったまま、メイはベッドの隣の椅子に腰をおろして、俯いた。
  レンヤは食事に手をつける気にもなれず、かといって話し掛けることも出来ずに、やはり沈黙に身を任せていた。
  やがて口を開いたのは、メイだった。
「……リンのことは、気にしないでください。あなたに怒ってるわけじゃないんです。感謝のほうが本心だと思います。ただ、自分の感情を上手く扱えない子で、あの子達を助けられなかった悔しさや憤りが、ああいった形で表れてしまったんだと思います」
「…………」
  何も言わないレンヤに、メイは、
「悲しいって、どういうことだと思います?」
「悲しい?」
「はい。リンはああやって悲しんでいます。あなたも、何かを悲しんでいますよね?」
  レンヤは答えない。
「……私はなんだか、自分が悲しんでいるのかどうか、わからないんです。喪失感はありますけど、お墓を作ったり、進化種の死体を片付けたり、今だって食事作ったり……私って、悲しんでるのかな、って。そう思うとなんだか……駄目な感じになってくるんです」
  メイは黙り込んでしまう。
  レンヤも沈黙を続ける。
  やがてメイは部屋を出て行こうとした。今度はレンヤも何も言わない。
  メイは扉の前で立ち止まると、レンヤに背を向けたまま、呟いた。
「……何も言ってくれないんですね」
「何て言えばいい、俺は」
  まるで馬鹿にしているような台詞だが、レンヤの口調がひどく真剣だったので、メイも本心を答えた。
「泣いてもいいんだぞ、って」
  レンヤにそう言って貰えれば、もう少しがんばれると思っていた。
  しかし、レンヤの言葉がメイに与えたものは、全く違うものだった。
「当たり前だ。泣け」
  レンヤは、いつに無く強い口調でそう言ったのだ。
  ふと、メイの中で何かが崩れた。
  頬を熱い水が流れ、やがて涙だと気付くと、膝の力が抜けた。倒れそうになった彼女の身体を、レンヤが受け止めた。片手でメイの背中を支えながらベッドから起きると、改めて彼女の肩を掴み、しっかりと支える。
  メイは身をよじってレンヤの手を逃れ、振り向くと、レンヤの胸に顔を押し当てた。声は上げなかった。
  暫くは戸惑っていたレンヤだが、やがて左手を彼女の背中に回し、右手で彼女の頭を撫でてやった。この間カミエにそうされたとき、自分の胸の奥に積もっていたもやもやした不快感が流れ落ちたような気がした。メイのもやもやも流れ落ちればいいと、そう思った。
  ミアを愛し、失い、泣き、リンと出会い、メイと接するうち、レンヤの中では大きな変化が起こっていた。それは思いやりであり、優しさであり、レンヤ自身はっきりと自覚しているわけではないが、ミアの全方位的な愛、万物の幸せを願う気持ちの影響であった。
  やがてメイは手を伸ばしてレンヤから身体を離すと、俯きながらぽつりぽつりと、囁くように言葉を発し始めた。
「……私は……ちょっと、無理してました。……これまでにも、何度かお葬式はしたんですけど……そのときはお兄ちゃんたちがいて……お兄ちゃんたちはいつもしっかりしてて、私は泣いてて……お兄ちゃんたちがいなくなっちゃったから、私がしっかりしようと……でも、無理してました……」
  レンヤがただ黙って聞いていると、メイは顔を上げた。そこには幾分弱々しくも、輝きを失っていない笑顔があった。
「すみません。何か、妙なところをお見せしちゃって。あ、食事、冷めちゃいますよ」
「……ああ」
  彼女の突然の明るさに少し戸惑ったが、レンヤはベッドに腰を落ち着け、ちょっとぎこちなく食事をした。いつも食事のときは隣で話をしているメイが、今日は黙ったままじぃっ、と見つめてくる。なんだか食べにくい。
  やがて食器を空にすると、レンヤはその食器を持って立ち上がった。
「あ、いいですよ。大丈夫です」
  メイは、レンヤが自分の為に片付けを買って出たのだと思ったのだろう。そういった気持ちも無かったわけではないが、主な動機は違う。ただ単に、何かやりたかったのだ。
「いつまでも世話になっているだけというのもなんだからな」
  レンヤの無骨な口調も、この一週間で板についてきた。最初の頃はいちいち考えてから話さなければ、元の子供っぽい話し方になりそうだった。その為メイに、やたら寡黙な印象を与えてしまった。話し方で何がどうなるわけでもないが、無愛想に振舞いたかった。
  実のところレンヤは、本人もはっきりとは意識していないが自分が嫌いだった。ミアを守ることが出来ず、ミアを失った後も何も出来ないでいた自分。嫌悪さえしていた。その頃の自分と『違う自分』を表すものの一つが言葉使いだった。
「……何か、仕事は無いか?」
「え、レンヤさん、出て行くんですか!?」
「いや。何か、手伝えないかと訊いているんだ」
「ああ」
  メイはようやく納得したようだ。
「ですけど、そんな――」
  一旦断ろうとしてから、これはレンヤが彼の悲しみを癒し、前向きに生きて行く為のきっかけになるかもしれないと思い直した。
「そう、ですね。じゃあ、皆に紹介しないと」

■・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 リンがベッドの上でごろごろしていると、家のドアが開いた。
  この孤児院は、一つの大部屋になっている。仕切りも何もないので、リンの寝ているベッドからもドアの様子は確認できた。
  葬儀の後で沈んだ雰囲気の部屋の中に、メイと一緒に食器を持ったレンヤが入ってくるのを見て、慌てて飛び起きた。
  丁度今、レンヤにいつ、どうやって謝ろうかと考えていた矢先、本人が現れたのだ。どんな顔をしていればいいのかもわからないが、ここから逃げ出すのは情けなさ過ぎる。
  ベッドのある位置からは丁度反対側にある調理場に持っていた食器を置くと、レンヤは部屋の中心へと向き直った。それはつまり延長線上に部屋の反対側のリンがいるということで、彼はレンヤと目が合った気がした。が、それは一瞬のことで、次の瞬間にはレンヤは部屋の中を見回していた。
「……ライルとマリがいないわね。誰か、二人がどこにいるか知ってるかしら?」
  メイの問いに男の子が、その二人はトイレに行ったと言っている際中に、当の二人が扉を開けて入ってきた。二人はこの場の様子に困惑しているようだったが、とりあえず傍にあった椅子に腰をおろした。
「じゃあ皆、聞いて。この方の話はしてたわよね。荒野を旅していたレンヤさん」
  レンヤが荒野にいた理由は、覚えていないと説明していた。空から落ちてきたことは、レンヤもリンも、結局誰にも言っていなかった。するといつの間にか、レンヤは旅をしていたということになっていた。
「昨日は皆の為に戦ってくれました。私たちが……助かったのは、レンヤさんのお陰です」
  言葉の途中の沈黙は、死んでしまった子供たちのことを考えたのだろう。
「更にレンヤさんは、私たちと一緒に働いてくれるそうです」
  この言葉には、子供たちもざわめいた。
  一緒に働くということは同時に、別の意味も匂わせていたからである。その別の意味について、子供の一人が訊いて来た。
「それって、〈家族〉になるってこと?」
「それは……」
  メイはその問いに対する答えを用意していなかったが、とりあえずレンヤに囁いた。
「〈家族〉っていうのは、深い意味じゃなくて、感覚的な意味で言ってるんです」
  レンヤにとって、『感覚的』というものほど困ったものは無い。何しろ彼の育った環境は、ここからすればかなり異常であり、感覚もまた正常とはいえないからである。
  いっそ『血縁関係』とか『利害の共有』などといった定義を言ってくれれば、考えられそうなものなのだが。
「――俺は、暫くここにいさせてもらおうと思っている。その間、施しを受けることになるだろうが、その分働くつもりだ」
  言いながら自分でも、関係ないことを話しているなぁ、という気はしているのだが、言うべきことが見つからない。地球にくるまで、自分がこんなに口下手だとは知らなかった。
  そこに口を挟んでくれたのはリンである。
「んな小難しい話じゃなくて。要するにさぁ、レンヤとレン兄ぃ、どっちがいい?」
「?」
「呼び方だよ。あ、呼ばれ方か」
「……別に何でも構わないが」
「じゃあ、レン兄ぃ。これからレン兄ぃって呼ぶから。これで〈家族〉だよ」
  一気にそう言われたレンヤは、何も言葉を返さない。周りにいる子供たちも、リンに注目したままぴくりとも動かない。
  ……気まずい。
  ちなみにこの孤児院では、大体二歳以上年上の人間は、名前の二文字に兄や姉といった意味を添えて呼ぶ。リンも『リン兄ぃ』や『リン兄ちゃん』、メイも『メイ姉ちゃん』と呼ばれる。リンも、今はいないが、メイ以外の年長者を呼ぶときは『シー兄ぃ』、『ホリ姉ぇ』――シーチェフとホリィというのが本名だ――などと呼んでいた。メイを呼び捨てにしているのは、恋する少年の心の表れである。
  それはともかく。沈黙に気まずくなっていたリンは、慌てて言葉を続けた。
「レンヤ、苗字ってあるのか?」
「……覚えていない」
  実際にはレンヤは覚えている。が、その苗字には全く思い入れが無いし、いい思い出もない。この際いっそ捨てようと思ったのだ。
  リンとしては深いことは全く考えていない。
「じゃさ、ゴールドって名乗れよ。町とかだと、苗字がないと未開人扱いされるし。よくても不審人物。うん、レンヤ=ゴールド」
  レンヤ=ゴールド、つまりはゴールド・レンヤ。ゴールドレンヤ? ……黄金レンヤ?
  ……響きがこっ恥ずかしい。
「いや、思い出した。俺はダカナだ。レンヤ=ダカナ」
「え……じゃあ、どっちかミドルネームにすりゃいい。レンヤ=ダカナ=ゴールドか、レンヤ=ゴールド=ダカナ」
  とりあえず、レンヤは二つの名前を頭の中で吟味してみた。
  ダカナゴールド、ゴールドダカナ……何か妙な耳障りだ。
  難しい顔して考え込んだふりをしながら困っていたレンヤは、メイに救われた。
「リン、レンヤさんが困ってるでしょ」
  メイが口を開くと、少し緊張していたその場の空気が和んだように感じられた。
「名前なんて、そうそう変えられるものじゃないわよ。あなただって、急に変えることになったら戸惑うでしょう?」
「っていうか、ゴールドの名を変えるくらいなら、リンって名前を捨てるよ。俺は」
  よくわからないことを言う。まあ、要するに彼は、自分が自分であることよりも、孤児院の一員であることにプライドを持っているということだ。
「う~ん……」
  リンから期待していた答えが聞けなかったメイは唸ってしまった。
「……ともかく、名前の話はいずれしましょう。レンヤさんも、いいですよね」
「ああ。構わない」
「じゃあ皆、レンヤさんと仲良くしてね」
  はーい! という、元気のいい返事が返ってきた。

■・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 レンヤと子供たちの顔合わせの後は、子供たちがレンヤを取り囲んで質問を始めた。
  レンヤはその元気に圧倒されながら、しどろもどろに、他愛の無い答えを返した。
  そして、腕力のあるレンヤに任された仕事は、畑仕事。
「耕すって言って、わかります?」
「ああ。土をほぐすのだろう」
「えぇっと、まあそうですね。道具は、レンヤさんの小屋にあるのを使ってください」
  そう言われて道具を取りに小屋へと来ると、リンがついてきた。
「あの……レン兄ぃ……あのさ、えっと……」
  レンヤが振り向くと、リンは言い難そうに視線を空中にさまよわせた後、危うく聞き損ねそうなほどの小さな声で、呟いた。
「さっきはゴメン」
  レンヤは暫く返事を考えた後……無難な単語を並べることにした。
「気にしていない。がんばろう、お互い」
「うん!」
  返事をするリンの声と笑顔は、今までの肩肘張った感じがなくなった、少年らしい、活気溢れる健やかなものだった。
「じゃあ、畑で待ってるよ」
「ああ」
  リンが走っていく後姿を見えなくなるまで眺めていたレンヤは、農具へと向き直った。
  ……わからない。何がわからないのかというと、どれを使って耕せばいいのかということである。なんとなくシルエットは思い浮かぶのだが……
  レンヤが選びかねていたのが、鍬と熊手である。鍬はもちろん、長方形の鉄板に、ほぼ垂直に柄がついている道具である。熊手は、鍬の鉄板の替わりに爪のような金具がついている。
  年下ばかりという環境も悪い方向に働いたのだろう。レンヤは苦しげに悩むことになった。その末に、鍬を選んで持っていった。
  畑で待っていたリンたちはそんな苦悩があったことなど知る由もなく、普通にレンヤの指導を始めた。レンヤは心底安堵した。
  だが、別に熊手でもいいのである。実際に熊手で耕している子もいたのだが、レンヤはそれを特殊な耕し方として認識してしまった。
  こうしてレンヤは生まれて初めてその手で土に触れた。

■・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 レンヤはその日、食事を大部屋で、他の子供たちと一緒に食べた。
  いただきまーす! の声と共に、意外に静かに食事が進む。
  早く食べ終わった子たちは、本を読んだり絵を書いたり、それぞれの時間に使う。遅い子たちはゆっくりと食べている。レンヤは遅いほうだった。
  片付けは当番が、まとめて外でやる。家の中に水道は通っていないから、井戸のところまで運ぶのだが、いつもは三人くらいがニ往復するところを、レンヤは大きな篭に積み込み、一人で運んでしまった。子供たちは感嘆の声を上げ、レンヤに力持ちの称号を送った。
  そのままなぜか腕相撲大会に突入。擬似進化種である彼らの力は並みの大人よりも強いが、両手を使ってもレンヤには勝てなかった。
  少し汗をかいたところで、昼間の農作業の汗と一緒に流し落とそうと、風呂へ入ることになった。レンヤは今までメイの持ってきた布で身体を拭くだけだったが、今日は皆と一緒に風呂に入ることにした。

■・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 レンヤは最近、髭が生えるようになっていた。
  避難艇で何日も死んだような日々を送り、ここの倉庫で三日ほど寝て、目覚めたときには顎を薄い無精髭が覆っていた。
  遠目には分からない程度ではあったが、それでも起きたとき、メイによって綺麗に剃られた。彼女はレンヤが寝ているときから剃りたかったらしいのだが、伸ばしているのかもしれないと思って手をつけられなかったのだという。起きたレンヤが「どうでもいい」と言うと、即座に剃られた。至近距離で顔面をいじられる間、レンヤは何だか気まずかったので、それからは毎日、メイが置いていった剃刀で自分から髭を剃っていた。シェービングクリームどころか濡らしてもいない。血も出たし後から多少痒くなったが、体質的に傷はすぐ治ったし、肌が荒れるようなこともなかった。
  そして夕飯を終えた今の話に戻る。
  離れになっている浴場では、時間で区切って男と女に分かれて入る。
  レンヤは童顔の部類に入るが、いざ裸の付き合いになるとそこは大人の男であり、子供たちには妙な感嘆の声を上げられた。
  そして髭を剃った。それを見たリンに妙に驚かれた。
「レ、レン兄ぃ髭剃るの!?」
「ああ」
「……へぇ~。なんかすっげー意外。レン兄ぃって男らしさが似合わないよな」
  レンヤは地球に下りてくるまで剃刀なんて使ったことが無かったから、自分でも違和感を感じずにいられなかったが、リンの言い様は何となく不服だった。

■・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 大部屋にベッドを運んできて一緒に寝よう、と言われたが、今日は遅いから、と断った。
  倉庫で横になると、いつになくすっきりした心持ちで、ぐっすりと眠ることが出来た。

■・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 翌朝は朝食の仕度を手伝った。その途中、牛に似た家畜の世話で熊手が使われているのを見た。糞を熊手でかき集めていたのである。
  レンヤは、この道具はこう使うのか、と納得してしまった。
  こうしてここに、特に意味の無い一つの誤解が出来上がった。
  そして、レンヤが朝食を終えて畑へと出ていたときに、その男は現れた。

■・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 すぅ~~、っと胸いっぱいに、土臭い空気を吸い込んだ。
  そして、叫ぶ。
「レンヤとかいう奴はいるかぁ!!」
  叫んだ男の前には孤児院があり、丁度その場に居合わせた子供たちの、きょとん、としたような瞳が向けられた。
  場違いな声量を出してしまったか、と後悔した男は、穏やかな調子で言い直した。
「レンヤって奴はいるかな?」
  妙に優しい声に、子供たちはますますきょとん、としてしまった。
  そもそも、声がどうとかいう前に、ぼさぼさの背中まである赤い毛や、やたら上半身の露出が多い服装など、外見ですでに浮きまくっているのだが、その辺り男には自覚がないらしい。

■・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 レンヤは男の声が聞こえる前から妙な気配を感じていた。ある一方向に向かって、鳥肌が立つのだ。それはどんどん強くなっていた。
「レンヤという奴はいるかぁ!!」
  馬鹿でかい声が聞こえた瞬間、レンヤは駆け出した。向かうのは自分の部屋である倉庫。銃はベッドの脇に置いてある。
  後ろでリンが何か言っているようだったが、すぐに聞こえなくなった。
  自分を訪ねてきた者がいる。
  地球に知り合いなどいるはずのないレンヤである。それだけでも充分異常事態なのだが、それだけでなく、ただならぬ胸騒ぎがしていた。
  結論から言うと、レンヤが武器を取りに行ったことは正しい選択だった。

■・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 赤髪の男がいる孤児院の正面からは、畑から倉庫に向かっているレンヤを見ることは出来なかった。
「レンヤって奴、いるんだよな?」
  男にそう尋ねられた少年は、不思議そうな顔をしたままうなずいた。
「じゃあ、そいつ呼んできてくれねぇかな」
  男の言葉を聞いているのかいないのか、少年はただ辺りを見回した。少年としては、孤児院の者とおっちゃん以外の人間に出会うのは、物心ついて以来これが初めてなのだ。どうすればいいかわからない。
「あの~、な。言葉わかってんよな?」
  男が困り始めた頃、孤児院の扉からメイが現れた。
「あなたたちは中に入っていて」
  ようやくやるべきことを見つけた少年、及びその場の子供たちは、言われるままに孤児院の中に入っていく。
  メイと男は二人っきりとなった。
「――こんにちは」
「ああ、こんちにわ。あの、レンヤって奴はいますか?」
  少し好みのメイが現れた為、男は少し動揺して、丁寧な言葉使いで挨拶を間違った。
  メイの方は男の質問の内容を不審がり、訝しげに訊き返した。
「……レンヤさんのお知り合いですか?」
「あ~、いや、違う違う。ンでも、ちょっと用があるんです」
「どういったご用件でしょうか?」
「え~と、まあこれはちょいと本人にしか言えないことでして」
「ご用件を言ってくださらなければ、レンヤさんと会わせることは出来ません」
「う~ん、そこをなんとか」
「出来ません」
「……ふぅ」
  男は小さくため息をついた。
「俺も仕事なんで、ここで待たせてもらいます」
「…………」
  男が急に低い声でそう言ってきた。メイは困ってしまった。

■・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 レンヤは男から見えない位置から、メイと男とのやり取りを聞いていた。
  さっきからの胸騒ぎは強くなっている。いっそ居留守で過ごそうかと思っているところに、その考えを実行できなくする事態が発生した。
「誰だお前! レン兄ぃに何の用だ!? メイに変なことしてないだろうな!」
  突然リンがメイと男との間に割って入ったのだ。
「ンだ、少年?」
「答えろ!」
「ああ、俺はサックル。レンヤへの用は言えねぇよ。あなた、メイさんってーんですか? いい名前ですねぇ」
  サックルは答えた。リンに対する言葉とメイに対する言葉で明らかに差をつけながら。
  これがまたリンの神経を逆撫でした。
「お前! さっさと出てかないと火傷じゃ済まないぞ!」
「悪ぃが仕事でな。どうしてもやめるわけにはいかねぇ。だがな、もし俺に攻撃してみろ。焼死程度じゃすまねぇぜ?」
  そう言うサックルの表情は、ひょうきんそうな中に一抹の殺気を覗かせていた。
  リンはつばを飲み込んだ。サックルの言葉は、殺し合いの意思がある、そうでなくとも殺し合いの覚悟はあるという意味に取れたからだ。
  リンは、死んでもメイを守ろうと覚悟を決めた。
  そして、この言葉を聞いて覚悟を決めた人間がもう一人いた。
「おい」
  その場の三人が一斉に声の出所へと視線を送る。そこには他ならぬ、レンヤが立っていた。
「お前がレンヤか!」
「そうだ」
  レンヤが肯定した瞬間、サックルは腰の小さな鞘から、直線三本が組み合わさったような剣を抜き放ち、レンヤに向かって刀を振った。もちろん刃は届かないが、そこから放たれた炎がレンヤへと突き進む。
  充分に警戒していたレンヤは、すんでの所で炎をかわした。
「やるな!」
  なんて言いながら、振り切った格好で止まっていたサックルは、飛んで来た黒い粒を剣で打ち払った。レンヤの撃った弾だった。
  続いて突進。斬撃。避けたレンヤに蹴り。それを受け止めたレンヤに、更に剣で横薙ぎ。それさえも後ろに跳んで避けられたが、その瞬間には剣から炎がほとばしり、レンヤの着ているシャツを焦がした。目の前の炎に気をとられたレンヤにむかって剣を突き出そうとした瞬間……
  どんっ、とサックルの目の前で、爆発が起きた。
「ぅぶお!」
「大丈夫かよ、レン兄ぃ!」
  リンの《エアーボム》である。
  リンの声には答えず、レンヤは一歩引いたサックルに向かって銃を連射した。サックルは後退しながらその全てを叩き落した。
  無駄と悟って射撃を止めたレンヤに向かって、サックルは勝ち誇った笑顔を向けた。
「へっへー。おめーのその武器、調べさせて貰ったぜ。それって電気の通る物にしか効かねーんだってな」
  そんなこと、レンヤも知らなかった。
「だからこの《ソード》の設定を変更して、通電性ゼロにしたってわけだ」
  サックルの講釈も聞こえていない様子で、リンがポツリと呟いた。
「…………火」
「ん? そう、そのとおり。俺の《ソード》は炎を操る。その名も《炎》!」
「……髪」
「神? へっ、炎を操ったくらいで神は言いすぎじゃねぇか。いやだが、まあ、そう言いたくなるのも無理はねぇ――」
  リンの呟きのみでは、なんだか取り返しのつかない誤解が生まれそうなので、妙な親切心を起こしたレンヤがはっきりと言ってあげた。
「あんたの髪の毛、火がついてるぞ」
「はぁ?…………ぅわあっち! あちあちち!」
  ようやく頭の上の事態に気がついたサックルは驚いたことに……髪の毛掴んで、投げて捨てた。
「はぁ、死ぬかと思った。…………なんだよ」
  周囲の困惑した視線に向かって、蒼い短髪になったサックルは睨みを効かせた。
「はい、そうです。かつらです。悪ぃかよ? てめぇらだってあれ見たら、まあ、なんて炎使いっぽいんでしょう、って思っただろ?」
  周囲の視線は変わらず、サックルに対する返答もなかった。
「ンだよ、ちくしょう。あぁ~あ、やっぱ市販のかつらじゃ耐炎加工なんてしてないもんなぁ。無茶だったかぁ」
  一通りぼやいたサックルは、場を仕切りなおすように、真面目な表情でレンヤを睨み、真面目な口調で言った。
「レンヤ。お前には死んでもらう」
  そういわれても無表情でいるレンヤに代わって、リンが質問を投げかけた。
「おまえ、〈ソード〉の人間だろ! みょうちくりんな武器、《ソード》を使う、SS社のお抱え軍隊!」
「説明的な台詞、ありがとう。だが、みょうちくりんとはひでぇな」
「なんで戦争屋がレン兄ぃを殺そうとするんだよ!」
「そいつが人間じゃねぇからだ」
「擬似進化種だって人間じゃんか! 殺していいわけないだろ!」
「ちげぇよ。そうだな、少年。説明してやろう。レンヤも、冥土の土産だ。聴いておけ」
  ちなみに、サックルが先ほどから饒舌なのは、彼が馬鹿だからではない。冥土の土産なんてこの後殺される悪役のような台詞を吐いているが、決して馬鹿だからではない。
  彼の持つ、炎を操る武器《炎》は、リンの《エアーボム》同様充填に時間がかかるのだ。
  そんなわけで、サックルの話は続く。
「まず、俺は普通の人間だ。特殊な能力も強靭な生命力もない。そして少年、お前は擬似進化種だ。さっきの爆発みてぇな能力が使えるし、小さな傷はすぐに治っちまう。でだ。レンヤ、お前はだな、WIO――世界調査機関ではOTHERITEと呼んでる。俺らは異人鬼って言ったりするがまぁ、アザライトの方が一般的だな」
「なんだよそれ」
  当人であるレンヤよりもリンのほうが気にしているようだ。
「異人鬼ってのは、進化種の一種だ」
「なっ……!」
「人と同じ外見に擬似進化種以上の身体能力。特殊能力も強力。種の中での個体差は人間並みに大きい。寿命は不明。成長速度は人間の八十パーセントほどだが、老化現象は確認されていない。急所は人間と同じだが、急所意外への傷で殺すことはほぼ不可能。準不老不死といっていい生態だ」
「そ……だからって、なんで殺さなきゃならないんだよ!」
「いいか、少年。種という言葉の意味は知っているな。こいつらが人間という種でないのならばつまり、こいつらは人間との間に子供を産めねぇってことだ」
  こいつ、とはレンヤのことをさしている。
「更にこいつらは寿命で死ぬってことがあるのかないのかすらわからん。その間に、こいつらが子供を作ったとしよう。その子供が子供を作り、孫、曾孫と一族が増えても、減ることはない。そして、こいつら個々の戦闘能力は全生物の中で最強に近い。わかったか、こいつらが人間という種にとって、どれだけ危険か」
  リンは……もちろんレンヤも……答えなかった。わかったからだ。二人とも。
  そのままでいくと、この地球上は異人鬼ばかりになってしまう。生態系は、異人鬼が生きるためのものとなってしまう。さらに異人鬼は、実質的に人間を支配することになるだろう。能力的には極端に不利な人間である。何より寿命が短すぎる。絶滅するかもしれない。
「でも……でも、殺すことないだろ! レン兄ぃ、いい人じゃん」
「少人数で居るうちはまだいい。それに、てめぇら擬似進化種は異人鬼に近い部分がある。だが、普通の人間は本能の部分で、そいつらを認められねぇんだよ。ンで、SS社は人間の本能の具現のようなもんだ」
  言いながら、サックルは《炎》に力が溜まっているのを感じた。いつでもいける。
  リンも同じことを考えていた。《エアー》は溜まった。いける。
「よくわかんないけど、レン兄ぃは殺させない。そのまま帰らなけりゃ、爆発させるぞ!」
「爆発……ねぇ」
  ねぇ、と同時に、サックルは走り出した。一瞬後に爆発が起こるが、サックルはその爆風も推力にして突進してくる。
  剣を突き出した状態で走る、矢のごときサックルの周りを、炎が取り囲んだ。その熱はサックル自身の皮膚も焼いている。
  どんな能力を持っているかわからない異人鬼に対する、最も確実な戦略……それは最大火力による一撃必殺。
  このスピードならば完全にはかわすことは出来ない。もし何かの能力を使ってかわしたとしても、強烈な熱風で体勢を崩すはずだ。
  その一撃は必殺の一撃だった。……が、それは一対一での話だ。
  サックルがレンヤの元まで到達する時間、十分の一秒ほどの間に、リンは《エアー》の、二つ目の流れを爆発させた。
  丁度レンヤとサックルの中間地点にあったそれは、熱風によりずいぶんと拡散していたが、サックルの意表をつくには充分だった。
  突然爆風を浴びせられたサックルは、体勢を崩した。そこへレンヤの放った銃弾が襲い掛かるが、それはことごとく弾かれた。
「……ったく、邪魔すんなよ、少年」
「言っただろが。俺はレン兄ぃを殺させない」
  リンの言葉に、サックルは舌打ちした。
「……まあ、擬似進化種が一人増えたところで、俺のやることに変わりはないがな」
  そう言うと、防御の姿勢をとったまま力を溜め始める。
  レンヤはサックルを横目にリンに近寄り、呟いた。
「合図で、あいつの二メートル手前を爆発させろ」
  リンは驚いたような表情を見せたが、すぐにうなずいた。
  レンヤは戦いが始まってからは何も考えられなくなっていた。相手の攻撃をかわしたのも、手にした武器を扱うのも、全て反射的にやっていることに過ぎない。相手を倒そうとか、生き延びようとかいう目的のない、ある意味、純粋といっていいような戦いだった。それゆえに、レンヤは自分がこれからやろうとしていることについて、危険だとか異常だとかいうことは全く感じていなかった。
  レンヤは暫くの間、サックルの攻撃により熱く、乾燥した空気を感じていた。肌が少しぴりぴりする。
  レンヤが、走った。
「レ――」
  何か言おうとしたリンには一瞬だけ視線を投げ、後は前方に集中して走った。
  冷静さを保つサックルは、レンヤを引き付ける。相手の弾を防げ、なおかつ自分の攻撃を外さない間合い。まだ。まだ。まだ。今!
「リン!」
  《炎》が真っ直ぐ振り下ろされた。
  どおん、という音がして、レンヤが横に吹き飛んだ。《炎》の攻撃ではない。《炎》の刃はレンヤのいた空間を両断しただけである。
  必殺の一撃をまたも外したサックルに、横から飛んで来た弾が当たった。右腕が落ちた。
  レンヤは《エアー》を、自分が移動するために配置させていたのだ。もろに喰らった為、レンヤの半身は焼け焦げているが、すでに再生を始めている。問題ない。
「レン兄ぃ! だいじょぶか!?」
  レンヤがうなずいてやると、リンは安堵の溜め息を漏らした。レンヤはサックルを殴り倒すと、眉間に銃口を突きつけた。
「……ちっ、しくじったなぁ。ちくしょう」
  そう言うサックルの声は、苦痛を感じさせない、それどころか先ほどまでよりも落ち着いたものだった。
「最後に、辞世の句でも残させてもらおうか」
「いいのか、死んでも」
  考えての発言ではなかった。
  言われたサックルは、驚きの表情の後に、これまで見せた中で最も幼い笑顔を見せた。
「いいことを教えてやろう。〈ソード〉は任務に失敗したら殺される。どうせならあんたに殺されたいなぁ、おれぁ」
  レンヤが二の句を継げないでいると、サックルは自分の言葉に付け足した。
「誉めてねぇからな、言っとくけど。同僚に殺されたくねぇって言ってんだ」
「だったら自殺しろ」
「自殺しちまったら無駄死にだ。せめて俺の死で、人の命を知れ、異人鬼」
「…………」
  どうしても、動けなかった。
  前に人を殺したときは、殺す前も後も、まったく気にならなかった。
  なぜ? それは――
「撃ちやがれ!!」
  多少ぼうっ、としていたレンヤはその声に、ぴくりと身体を震わせてしまい……
  引き金が、引かれた。

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