月から落ちた死体の男

第六章
北の山の賢者

 見上げる避難艇は、自分の想像よりも遥かに巨大なものだった。自分たちの生活していた空間など、この中の二パーセントほどでしかないだろう。
  中に入る気にはなれなかったが、とりあえず開きっぱなしだった扉を手動で閉めた。
  鍵を掛けられないだろうか。これではその内、ここは荒らされてしまう。
  暫く思案した後、今閉めたばかりの扉を開け、やっぱり中に入り、血の臭いのする赤い模様を横目に自分の部屋へ向かった。そして、もう二度と使わないであろう睡眠カプセル《ウォーム》に銃弾を放った。綺麗に穴が開いたところで、中からバッテリーを取り出す。それを持って外に戻ろうとして……ふと、この銃の元の持ち主だった男の部屋に入った。
  実のところ、今使っている銃の残弾数というのをレンヤは全く知らない。それどころか、撃つ以外の操作は全く出来ない。下手に触ると暴発しそうなので、あまりいじくれないのだ。が、予備の弾があるに越したことはないし、それに……少し、あの男がどんな人間だったのか、知りたくなったのだ。
  手動で扉を開け、部屋に入った。
  自分の部屋と同じ、ベッドと椅子と《ウォーム》しかない。
  ふと、《ウォーム》の中にあの男の死体があるのだろうかと思ったが、近づくと何もないことがわかった。では、あの男の死体はどこに行ったのだろうか。自分は頭を打ち抜いて、そこから先の記憶は無いが――
  レンヤは不意に理解した。この銃で、消滅させられたのだろう、カミエに。
  少しだけ暗い気分になりながら、《ウォーム》を操作し、中のデータを覗いてみた。
  空。
  何もない。データは全く入っていない。
  レンヤは予想外のことに驚きながら、《ウォーム》の下部の収納部を開いた。
  そこにはわずかな着替え、それに……それに……写真があった。画像データではなく、写真。レンヤは初めて見た。
  そのことよりもレンヤを驚愕させた、その写真に写るもの……それは、この《ウォーム》の持ち主である男と女性が並んで笑っている姿。男の浮かべる笑みは荒く、しかし生き生きとしていて、この避難艇の中で彼がいつも浮かべていたのとは違った笑みだった。隣にいる女も、雰囲気こそ違えど、やはり生命力を感じさせる笑顔である。
  レンヤは目を閉じた。あの男の言葉が思い起こされる。――頼まれていますから、失敗するわけには行かないんです――彼は、彼女に頼まれたのだろう。そう、彼は愛する彼女の理想をかなえる為に戦ったのだ、きっと。
  妙に共感した。自分は愛を持ってミアを守ろうとしていた。あの男とは逆だけど、根本の部分でとても、とても共感できた。
  写真の裏に、言葉が書かれていた。レンヤはエデンで筆記用具を見たことはなかったが、それは確かにインクで書かれていた。
『いつか どこか だれか これを読む者へ。俺は記す。俺は彼女を愛している。俺は思う。俺は彼女を愛している。俺は伝える。俺は彼女を愛している。俺は 俺は彼女を愛している。愛している 愛している 俺の全て。彼女への愛。最後にもう一度。俺は彼女を愛している。愛している そして何度でも 俺は 彼女を 愛している』
  文章が後に行くに連れて、筆圧は強く、字は雑になっていた。なんとなく、これはこの避難艇に来てからの日々のうちで書かれたもののような気がした。
  レンヤは、目をぎゅっ、と瞑り、何かに耐えた。何かの感情が胸の内から溢れてきた。涙する感情でも、笑みを浮かべる感情でも、破壊する感情でも、絶望する感情でもない。ただただ、何か熱いものが身体の芯に芽生え、膨れ上がっていた。
  レンヤは写真を収納部へと戻し、外へと向かった。
  ミアを殺した男に対する憎しみは、無くなったといっていいほどに薄れていた。

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 バッテリーを繋げて、コマンドを立て続けに打ち込む。
  ぴぴ、と音をさせて、周囲のランプが全て赤くなった。
  データ書き換え用のプログラムを壊し、更にその上に何重ものプロテクトをかける。
  手動でも扉が開かないことを確認してから、コンソールに弾を撃ち、消し去る。
  これで、どこかに穴でも開けない限りこの避難艇の中には誰も入れないはずだ。
  登って来たときと同様に慎重に降りようかと思ったが、なんとなく冒険心を起こして、飛び下りた。見事着地。今更ながら、自分の運動能力に驚いた。
  巨大なキャンパスに、荷物の中にあった小さなナイフで大まかな形を描く。
  下は長方形、そこから膨らんで、真っ直ぐ上に行って、鋭角。
  剣、を書いているつもりである。
  巨大なキャンパスは、避難艇の外壁。表面には耐熱タイルが張ってあり、その下に装甲板、つまり一番硬い層がある。
  上の耐熱タイルに剣の輪郭を刻み付けてみたのだが、ぱっと見、なんか不自然である。柄の部分を――レンヤは柄なんて言葉は知らなかったが――少し修正してみた。なかなか良くなった。
  次が重要な作業である。銃による型抜き。試しに撃ってみると、半径五センチ程の穴が開き、四番目の装甲が露出する。その装甲は電気を通さないようだ。半径五センチというのを頭に入れて、出来るだけ綺麗に型抜きをする。
  そうして何とか型抜きを終え、研ぎ石を出したところで……計画の甘さに気がついた。研ぐために必要な、水がない。研ぎ石は濡らして使うもののはずだ。
  飲み水をちらりと見た。……はっきりとした時間はわからないが、大体数週間は飲まず喰わずでいた経験がある……だが、意識のはっきりした今となっては喉の渇きは耐え難い。
  結局レンヤはギザギザしたノコギリのような鉄板を持って、自分の手際の悪さを思い知りながら――特に意識したわけではなく――北の方向へと歩き始めた。

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 実際は今までだって、何度も死神を目の前にしていたはずだ。が、こうじわじわと忍び寄ってくる死神というのは初めてである。
  暑い。乾く。疲れを感じないのはありがたい。時々現れる進化種を撃ち殺しながら荒野を移動していると、結構辛いものがあった。砂漠とは違い、夜になっても極端に寒くなることは無いが、日中は暑さに思考が飛びそうになる。
  こうして肉体的な苦しみの中に浸かっていると、自分の中の生きようという意思をはっきりと意識する。
  今は、自分の中の生命力に罪悪感を感じることは無かった。暫くミアのことと離れて暮らしてから、また彼女の元へ戻ったことにより何か吹っ切れるところがあった。
  生きて、何かしなければ。もがいてもがいて、もしかしたら何かを掴むことが出来るかもしれない。何を求めているわけではないが、何かは求めている。
  レンヤは、一歩一歩脚を進めることで、死ぬまでもがくことを決心していた。

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 川を見つけた頃には、リンから貰ったジャケットの下に何枚かのシャツを重ね着しなければならなくなっていた。寒い。
  川は、暫く流れた後に地面の下に潜って行っている。
  辺りには木も生えて来ていたが、全て針葉樹。針葉樹は寒いところに生える。
  とりあえず火を起こしてから川で身体を洗い、ついでに汚れ物を洗い、身体を拭いて厚着をし、火の前に座り、そしていよいよ研ぎ石を濡らした。
  ただの板を刃物にするというのは、思いの外……というか、諦めてしまいそうなほど大変だった。
  お腹が空くまで角度を気にしながらしゃこしゃこやって、洗って見てみるとほんの一ミリほどの範囲が削られてピカピカしていた。それだけである。
  この調子では、ギザギザがなくなるのさえいつのことになるかわからない。
  丸一日がんばっていたのだが、レンヤは無言で無表情で、切れた。
  研ぎ石の上に剣――の形をした板――を置き、上から川辺にあった石で殴りつける。力一杯殴っていると石が割れるので、新しい石で殴りつける。
  このストレス解消は偶然にも剣の整形に有効に働いた。
  例えばハンマーで力一杯釘を打った後、釘を触ったら熱くなるように、打ち付ける力が熱エネルギーになって蓄積されていったのである。人外の力で何度も打ち付けられることで高温になった板が柔らかくなり、形を整えられるようになったのだ。
  そうしてある程度形が整えばもう先は見えた。改めて研ぎ石でしゃこしゃこ研ぎ始める。
  レンヤがこの川辺に来てから七日が過ぎ、最後まで取っておいた食料が無くなった頃、ついにレンヤは片刃の刀剣を完成させた。試しに素振りしてみたところ、すぽっ、と手から抜けてしまった。刃のついでに整えた柄がつるつる過ぎたのだ。慌てて研ぎ石の角を使い、柄に凹凸をつけてその辺に茂る蔦をきつく巻き付ける。まあ、大分ましになった。
  一メートル余りの剣を手にしてみると、エデンなんて無害な環境で育っていてもそこはやはり男の子。ちょっとした高揚感を覚えた。

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 さて、ここまで来たからには北の山の賢者に会って行かない手は無いだろう。食料も補充したいところだ。手持ちの食料はゼロだし、ここ三日で口にしたのは小さなビスケットを数欠片だけ。普通の旅人だったら死を覚悟するところだが、レンヤに危機感は無い。エデン育ちと超生命力のお陰か、レンヤは妙なところで能天気だった。
  レンヤが裸の剣を手に目の前にあった山を登るのは、それほどの苦労ではなかった。斜面は急だが、むき出しの大きな岩を伝えば案外簡単に登って行ける。
  とりあえず川を遡って行くと、辺りの岩の陰にちらほらと雪が見え始めた。周囲は針葉樹林に覆われている。
  特に何を考えるわけでもなく登っていた、そのとき。
「お前は、レンヤ=G=ダカナだな」
  反射的に、腰に吊るしてあった銃を手にする。右手に銃、左手に剣。作ったばかりの剣を使って見たくもあるが、剣のど素人である自分には使い慣れた銃の方が頼りになる。
「異人鬼、処理する」
  木々の間から姿を現したのは、身長よりも大きな盾で右半身を隠した男。晒されている左半身は、黒髪、青目、そして身体を真っ黒いローブで包んだ、線の細い男である。
  〈シールド〉か、と思うと同時に、〈シールド〉はまともに戦えば弱いということも思い出していた。
「名前を、なぜ?」
「孤児院で聞いたら、教えてくれたとも。行商人の友人だと言ったからな」
  気になることのなくなったレンヤは、男の左半身に向けて銃を連射した。
  男は盾で防いだ。盾が移動するのを見て、その盾が浮いていることを知った。なかなかに非物理的な盾であるが、今更そんなことに文句を言うつもりは無い。
  走っていって、剣を叩きつける。が、それは盾に弾かれた。弾かれた剣を握りなおし、その剣は左から突き刺す形に、右手に持った銃は右から弾を発射する形になった。どちらかを防いだとしてもどちらかは喰らうことになる。
  勝った。
  そう思った瞬間……
「甘い!!」
  男の盾から、炎が噴き出してきた。
  レンヤは咄嗟に後ろに跳び、距離を取る。
「我が《溜》は、ただ守るだけの《ソード》ではない!」
「《ソード》……?」
「ふ、盾の形をしているからといって《シールド》だとでも思ったのか?」
  なるほど、形は関係ないのだな。
  そう思うと同時に、こうぺらぺらと情報を漏らすこの男の目的は何なのだろうか、と考えた。
  サックルのときは、あれは恐らく、あの炎を出すための力を溜める間の時間稼ぎだったのだろう。
  では、この男もやはり、何らかの力を溜めている……?
  レンヤは適当なことを言ってみた。
「――そろそろ、力は溜まったのか? ならば、行かせてもらうが」
「力? ふ、そこら辺の《ソード》と一緒にするな。我が《溜》は受けた攻撃を溜めておくという方法によって、大技を使う度に力を充填する手間を省いているのだ。なめないでもらおうか」
  …………どうやら、ただのお喋りだったようだ。
  ともかく、レンヤは《溜》という《ソード》の性質を――男の言葉が真実ならば――知ることに成功した。
  形状の通り、盾として相手の攻撃を受け、受けたエネルギーを吸収、任意で放つ。そういうことらしい。
  ということは、だ。溜めてある攻撃を出し尽くせば反撃できなくなる、ということだろう。
  レンヤは撃たせて逃げる作戦を採択した。
  そのためにはまず、挑発。これが一番難しい。
「お前の攻撃では俺は倒せない。お前の技などしょせん借り物だからな」
「なに? 我が《溜》ではお前を倒せない……だと?」
  男の――右半分の――表情は、一気に剣呑な色を帯びた。
「ああ。他人の技を使いこなせていないお前などには、まず無理だな」
「ほう……身をもって試してみるがいい!!」
  挑発、成功。
  次は、回避。相手の動きを読んだりは出来ないので、目に頼ってかわす他は無いが、まあ間合いを詰められなければ平気だろう。
  炎を避け、氷を弾き、岩から逃げ、衝撃波にかすり、目に見えない気配だけをかわした直後には辺りの木々が倒れ、伸びてきた黒い弦をかわす。
「おのれ、ちょこまかと! 次はお前の斬撃を喰らわせてやる!」
  すると、白っぽい刀剣の切っ先だけが飛んで来た。慌ててかわす。
  どうやら今のは、自分が叩きつけた剣の力のようだ。物理的な衝撃を吸収した上、遠距離攻撃にして撃ち返すとは、思いの外厄介だ。
  ともあれ。回避、順調。
  後は相手の攻撃が出尽くした後で攻撃に移ればいいのだが……よくよく考えてみると、相手は〈ソード〉の一員なのである。あの炎を放つような《ソード》を使う同僚が山ほどいるに違いない。
  ともすれば、攻撃が出尽くすということはあるのだろうか……?
  そんなことを考えていると、突然男が《溜》を突き出してきた。
  慌てて横に跳んだレンヤのいた空間を、光の帯が貫いた。直線上にある樹木がすっぱりと切断され、少し間を置いてから思い出したように倒れた。
  その攻撃は、全く見えなかった。気がついたら、そこにあったのだ。本当に光速なのかもしれない。もしこの攻撃を放つのに前動作が必要で無かったならば、いくらなんでもかわせなかっただろう。
  ……回避は変更して、逃走に。
  盾がどういった仕組みで動いているのかわからないが、隙をついて仕掛ければ防御はかわせるかもしれない。中身に一撃食らわせることが出来れば、勝てるはずだ。
  というわけで、レンヤは川から離れ、針葉樹林の中へと走っていった。
「あ、くそ! 待て! くぅ、重きことが唯一の欠点か!」
  一見浮いているように見えたあの《ソード》、意外なことに重さは感じているらしい。
  ますます仕組みがわからないが、一応物理には縛られているようだ。

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 レンヤと男との差はどんどん開いていった。暫く行くと絶壁に突き当たったので、その壁に沿って左へ走り始める。
  もう男の気配がなくなってからずいぶんと経ったので、つい気を抜いていたレンヤのすぐ隣を、光の筋が貫いた。光に触れた木は、すっぱりと切断されている。
  何を目標にして撃ったのかはわからないが、恐らく男の攻撃だろう。
  レンヤは慌てて壁に寄り添い、身を伏せながら全力で走った。
  後から後から光が放たれたが、何とか無傷で走り続ける。
  光は大体二十秒に一度放たれている。
  隠れられる場所を探しながら走るレンヤは、壁際にある岩の陰に洞窟があるのを見つけた。何も考えず、その中に逃げ込む。
「誰だ」
  レンヤが洞窟の中に入ってすぐ、重低音の声が響き渡る。洞窟の中の、更に暗い部分からのっそりとした動きで大男が歩み寄ってきた。坊主頭にぼさぼさの黒髭。どういう冗談なのか、柔道着の上に、仏僧の着るような黒い服――法衣を着ている。
  ものを知らないレンヤはその滑稽な男をただ変わっているな位にしか感じず、いたって平静に受け止めた。ただ、北の山の賢者、という言葉がふっ、と脳裏に浮かんだ。
「……追われている。静かにしてくれ」
  男は何も言い返さずに、腕を組んで目を瞑った。すると驚くほどに男の存在が希薄なものになる。レンヤは危うく周囲の岩と男との境を見失ってしまうところだった。
  レンヤも押し黙り、暫し沈黙。時々光の帯が洞窟の前を通過していく。
  やがて〈ソード〉の男がやってきた。
  この洞窟は岩の陰になっている。そして男は急いでいる。通り過ぎてくれる可能性は低くはないはずだ……
  ……レンヤは肩の力を抜いた。もう足音も聞こえない。レンヤは改めて、洞窟の奥で黙り込んでいる男に向き直った。
「――あなたが北の山の賢者ですか?」
「賢者だと? バッカヤロー、誰に聞きおった、んなこと」
  その口調はかなり砕けたものだった。もっと厳格な言葉を想定していたレンヤは、肩透かしを喰らった気分になった。
「違うんですか?」
「ってぇか、わしは――」
  言葉が途切れる。レンヤも気付いて、振り返った。
  洞窟の前には先程までと同じ景色が臨めた。違うのは空気……そしてわずかな物音。
  レンヤは銃を構えた。賢者――らしき男――はレンヤの銃を見て眉をひそめたが、すぐに洞窟の入り口に向き直る。
  影が見えた。引き金を引く。引く。引く。
  半ば予想していたことだが、レンヤの攻撃は全て《溜》によって防がれてしまった。
「ふ、このような穴倉が、我が目に映らぬとでも本気で思っていたのか? まあ、映らなかったのだが、私は耳が良い。話をするとは、迂闊だったな」
  本当にお喋り好きな男である。だが、手強い。こちらに決め手はなく、今や逃げ場もなかった。
  状況を理解しているのか、男は目を細めて笑った。
「そろそろ温さがいとおしくなった。その命、取らせてもらおう」
  来る。レンヤは身体に緊張を走らせた。
  その時、
「なぜ、殺す」
  決して大きな声ではないが、腹の底まで響く声。男もレンヤも、その声の発せられた所を見つめる。
  賢者は、二人の視線を受け止めながら〈ソード〉の男を見つめていた。
「なぜ、殺すというのだ」
「関係ないだろう、お前には」
「目の前で起こっとるのに、関係ないことなどあるか。答えろ」
  どっしりと構えた賢者にそう言われて、男はなぜか話してみる気になった。
「そうだな。我が仕事だからだ」
「なぜ、仕事をする」
「……いい生活をするためだ」
「なぜ、いい生活をしたいのだ」
「嫌な生活よりはましだろう」
「では、なぜ生きていく?」
「は?」
  急に質問の内容が飛ぶので男はとっさに反応できなかった。
  その隙を突いて行動したのは、他ならぬ賢者だった。一気に間合いを詰めると《溜》が反応を見せる間もなく、男の首を掴んだ。ワンテンポ遅れて移動した《溜》が賢者の腕をしたたかに打ちつけたが、実用的な筋肉に覆われたその腕はびくともしない。
「な……にをする……」
  首を締め付けられ、持ち上げられ足の浮いてしまっている状態で、男は賢者を睨みつけた。賢者はきつく睨み返す。
「いいか、真面目に答えろ。おぬしは、なぜ、生きる?」
  実際には、男にはこの状況を打開する術があったはずだ。
  だが男は賢者のプレッシャーに圧迫され、つい答えてしまった。
「……今まで……他人が死んで、自分が生き残って来たのだ……今更、死んでなるものか……生きる以外に道はない……」
「ふん、不十分だな」
  賢者は鼻で笑ったかと思うと、その指に力を込め、男の首を……握りつぶした。賢者が手を放すとそれは、どさり、と地面に落ちた。
  《溜》は溶けるように消えてしまい、後にはただ男の身体だけが残った。
「やはり、〈ソード〉か」
  唖然としているレンヤの方へ向き直った賢者は、大きく深呼吸をした。
「で、わしに何の用だ?」
「あなたはやはり、北の山の賢者と呼ばれる人なのですね」
「まあ、そう呼ばれちゃおる。だがな、実際のところわしは仙人なのだ」
  腕組みしてどこか威張ったように賢者――仙人は言ったのだが、レンヤは無反応だった。それを見た仙人は少しつまらなそうな表情をしたが、気を取り直して話を続けた。
「昔、旅人が行き倒れたのを助けてな。そいつは大陸西部の人間だったんだが、仙人といっても通じん。おぬしはわかるか?」
  レンヤの姿が大陸東部系人種のものだったので、仙人は期待を込めて問い掛けた。
  レンヤはその期待を感じながら、しどろもどろに答える。
「……術を使う……人間、ですか?」
「ふむ。まあまあだな。術のほかに仙人は不老不死も持つんだが、まあ西部の旅人にそんんな感じの説明をしたら、ウィザードのようなものですね、っつってな。あのとき否定しなかったのがいかんかった。その後に来る奴来る奴、皆、賢者だのウィザードだのといってくるようになって」
「では……あなたのことは、なんと呼べばいいんですか?」
「あなた、で構わんが、まあ名前は……ガマとでも呼びゃあいい」
「ガマさん?」
  聞き返すレンヤの頭の中には、蛙の姿が浮かび上がる。しかし、蛙なんて実際に見たことのないレンヤが思い浮かべたのは緑色の蛙で。ガマガエルはこげ茶色である。
「で、結局わしに何の用なんだ? わしは面倒見がいいんで、話ぐらいは聞くぞ」
  話ぐらい聞くというのは、面倒見がいい人間の言うことなのだろうか。
  ともかく、レンヤは話し始めた。
「愛する人がいたんです。過去形なのは、その人が今は……いないからであって、今も愛しているんです。いないっていうのは……殺されたからです」
  そして、荒野で倒れていたところを孤児院に拾われたこと、そこで起こったこと、それについて感じたことなどを話した。
  ガマは相槌も打たずにいたが、レンヤはそのほうが話しやすかった。
  昔住んでいた所で、愛する人を殺した人間の動機が彼の愛に在ったことを知り、憎しみも怒りも感じなくなったこと、それからなんとなくここに来たことを話した。
「ふ~む。まあ、座ろうや」
  ガマはそう言うと、その場に胡座をかいた。レンヤも岩の上に腰を下ろしたが、こちらは正座である。だというのに、ガマの方が視線の位置が高い。ガマは座高だけで百五十センチメートル近くある。
  ガマはレンヤを見下ろしながら、質問を投げかけてきた。
「わしがさっきあの男に、本当に訊きたかったのはどの質問だったと思う?」
  レンヤの話とは無関係な質問のように思えたが、答えることにした。
「……なぜ生きるのか」
「確かにそれも重要な質問だ。だが、わしが訊きたかったのはなぜ殺すのか、だ。〈ソード〉の人間というのは、あいつのように人を殺すことを特別なことと思っていない奴と、人を殺すことは特別なことだと思っている奴とがいる。どっちが正しいと思う?」
  レンヤは暫く考えてから、慎重に言葉を選んで答えた。
「殺すというのは、人の存在を消すことですが……人の存在を消すことは殺すことではなく……存在を消すことは特別な行動ですが……殺すことそのものは特別なわけじゃなく……でも存在を消すことは殺すことで……そうしたら殺すことも特別と言えるわけですが……その逆は成り立たないわけで……例えば殺すこと以外でも良いわけで特別で……ええと、上手く言葉にできません」
  渋い顔をするレンヤに対するガマの表情は、満足げな笑みを浮かべている。
「云いたいことはわかる。そう、わしの持論もそれだ。殺すことは特別なことだが、他の行動も特別だ。特別でない行動など何もない」
  殺す、という話題だとレンヤの中に浮かぶイメージは、どうしてもミアが殺されるシーンになってしまう。
「殺される……というのはどういったことなのでしょうか」
「そりゃわからんが、そんなもん、殺されりゃわかる。わざわざ今悩むことじゃない」
  理屈のような屁理屈のような。やっぱり屁理屈だろうか。
「だが、死なれる、ってことには持論はある」
  その言葉に、レンヤは飛びついた。
「どういうことなんですか?」
「つまりは、何も変わらん」
「は?」
  眉をひそめるレンヤに、ガマは胸を張って説明する。
「いいか。おぬしは愛した相手が死のうと、愛し続けているといったな。つまり、人間の感情というのは周りにはそれほど左右されないのだ。つまり、変わらん」
「ですが、悲しかったり、憤ったり、無気力になったりします」
「それは、飯がなくて腹が減る、程度の変化だ。根本的には何も変わらん」
「……人は、空腹になれば死んでしまいます。食べ過ぎれば、病気になります。それを解決するには、どうすればいいのか。……それが、どうしてもわからないんです」
「ま、わしに言えることは唯一つ。生きろ」
「……それだけですか?」
「おぬしはもうその女の死を受け入れてるようだし、生きてりゃ何かが掴めるかもしれん」
  それでもレンヤが不満そうな顔をしているのを見て、ガマは嘲るように言った。
「なんだ、全て解決できるような言葉を期待してたのか? 確かに持論はあるが、それをおぬしに教えるのはおぬしの為にならん。いつかおぬしが何かを掴んだら、また来い。そのときにはわしの持論も聞かせてやろう」
  そう言われても、レンヤは沈んだ表情で曖昧な返事を返すだけである。
「はあ」
「なんだよ、しゃきっとしろ。ま、とりあえずその孤児院にでも帰ってみろ。んで、その女子供を守っとりゃ、まあなんかわかるんじゃないか」
「……はい」
  孤児院に帰って、メイとリンを守る……それはレンヤも考えていたことだった。
  レンヤはガマから保存食を少し分けてもらうと、山を下りた。

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