月から落ちた死体の男

第七章
死に損ねた男

 懐かしい土の匂いのする荒野に戻ってきて、何度目かの朝を迎えていた。
  太陽が昇って早々に、辺りはもう暑くなっている。
  その音に気付いたのは、昇る太陽も一段落付いて、朝焼けが青空に完全に切り替わった頃だった。最初は進化種の足音かと思っていたが、どうにも感じが違う。
  音に続いて、砂埃が立ち上っているのを発見した。東からこっちに向かってきている。レンヤの視力はそれを馬車だと認識した。小さな黒い直方体に四つの車輪のついた車を二頭の馬が引いているのだが、あの車ではせいぜい二人くらいしか乗れないだろう。
  その馬車は明らかにレンヤを目指しているように思えた。
  馬車に御者は見えないが、無人でなければ向こうもレンヤに気付いているはずである。だというのに、馬車はまったく減速することなくレンヤに向かい、ついにはレンヤを轢くかと思われた。
  慌てて横に跳んだレンヤの目の前に急停止した馬車からは、二十歳くらいの男が降りてきた。
  明るいブラウンの髪に、深い緑の瞳。白人種の肌をしている。着ているシャツは、様々な暗い色をパレットの上で混ぜたようなグラデーション、それに黒いスラックスを穿いているので、顔や手の白さが浮き上がるようだった。
「初めまして、レンヤ=G=ダカナ」
「〈ソード〉か」
  それはほぼ確信しての言葉だったのだが、その男は即座に否定してきた。
「いいえ。私はあなたと同じ、異人鬼ですよ。まあ、SS社の関係者、という点は正解ですが」
  男の口調には柔らかな響きがあったが、どこか感情が抜けているように感じられた。
「SS社関係の異人鬼が何の用だ?」
「君を殺す為に遣わされました。けれど、私自身の目的は全く違う」
  眉根を寄せたレンヤは、露骨に不審そうな表情をする。
  男はレンヤの表情に気付いているのかいないのか、名を名乗った。
「申し遅れました。私はラクラー=ストヴァーナ。名がラクラーで、姓がストヴァーナ。まずは君に一つ訊きたい。君は迫害を受けたことがありますね」
「迫害?」
  思い当たることはない。
「〈ソード〉に襲われた、などということですよ」
それならば。
「……ある」
「それで何か、大切なものを失われたことはありませんか」
「それは……ない」
  一瞬、最高に大切な人を失ったことを思い出したが、〈ソード〉は関係なかった。
  直後に孤児院で失われた二人の女の子のことを思い出した。だが、名も顔も知らぬ少女のことで訂正するのは躊躇われた。
  その間に、レンヤの答えを聞いたラクラーは妙な微笑を浮かべていた。悲しみと、わずかな羨望のこもった表情。しかしすぐにその表情は隠れてしまい、次いで浮かんだのは苦笑だった。
「一つ訊きたい、と言ったのに、つい二つ訊いてしまいましたね。まあ、気にしないでくれるとありがたいです。……少し、説明をしましょう」
  そう言うと、ラクラーはシャツの襟に隠れていた金属の輪を見せつけるようにした。それは首にぴったりとはまっている。
「この輪は爆弾です。私がSS社を裏切るようなことがあれば、即座に爆発します。単にこれに盗聴器が入っていて、SS社にいる人間が私の言葉を聞き、裏切ったと判断すると遠隔操作で爆発させるというだけのものですが――」
  一旦言葉を切ったラクラーは、その輪をがっちりと握り、力を込めた。するとその輪が爆発して、爆音と共にラクラーの胸から上は煙に包まれてしまった。
  顔面に熱気と衝撃波を受けたレンヤが唖然としてそれを見ていると、ラクラーの腕が煙を払うように動いた。更には咳まで聞こえてくる。
「えほっ、えほっ、ううん……喉に引っかかりますね、この煙は」
  煙が払われた後にそこにいたのは……先程までと全く変わらない、ラクラーの姿だった。服の端にも、焦げ一つついていない。
「こんなもので私に危害を加えることはできないんです。まあSS社には私の能力をほとんど教えていませんでしたから、本気で戒めになっていると思っていたようですが。もうわかりましたね? 私は捉えられ、手駒とされた異人鬼。いえ、手駒にされたふりをしたいた異人鬼です。どうにも強力らしい君を殺させようと遣わされたわけです」
  暫く首をさすっていたラクラーは、やがて直立姿勢になってレンヤを見据えた。
「私の能力を教えてあげましょう。この世界に存在している力。進化剤などと呼ばれたりする物質があります。私はその力を自在に操れる」
  レンヤは戦慄した。それは、ほぼ全能を意味している。
「SS社が必死になって作っている技術、《魔法》と同じようなものです。あらゆることに応用が可能です。私はこの術を十年かけて開発してきました」
  それにしては若いな、と思ってから、サックルが異人鬼の成長速度は人間の八割で、廊下はしないと言っていたのを思い出した。ということは、二十歳くらいに見えるこの男の実年齢は全く量ることは出来ない。
「なぜだと思いますか?」
「なにが?」
  急には意味が汲めず、思わずそう問い返してしまった。無防備な返しに自分で少し恥じる。
  ラクラーのほうは気を悪くした様子もなく、答えてくれた。
「私が自らの能力を開発してきた理由です」
「……死なない為?」
  少なくともレンヤは、死なない為に剣を作った。
  が、ラクラーは軽く否定した。
「いいえ。違います。私は世界を滅ぼそうと思ったんです」
  レンヤはわずかに目つきを鋭くした。
  そんなことをするのは許せないと、理屈も無しに思った。
「私は〈ソード〉に大事なものを奪われたのです。……私には愛する妻がいました」
  びくっ、と、レンヤの身体が強張った。
「ある日〈ソード〉に家ごと襲われました。妻は死に、私は死に損ね、SS社に捕まりました。苦痛を伴う実験、などはありませんでしたが私にとっては、ただ生かされることが拷問でした。そして、ある日思いました。……世界を、滅ぼそうと」
  レンヤの右手が動き、銃弾を放った。しかしその弾は、ラクラーの手前ではじけて消えた。薄い膜が張られている。進化剤の力だ。
  次の瞬間には、レンヤは地を蹴り、一気に十数メートルを駆け寄ると、剣を振り下ろした。剣は膜を突き破ったが、ラクラーは寸前でそれをかわす。
「どうしました、レンヤ=G=ダカナ。涙など浮かべて」
  言われてレンヤは慌てて目を拭った。流れ落ちるほどではなかったが、確かに涙が溜まっていた。
「走って、乾燥したんだ」
  もちろん嘘だ。だが、本当の答えは自分にもわからない。同情したのかもしれない。ラクラーに共感したことで自分の傷が再び痛み始めたのかもしれない。
「それはそれは。目を乾燥させると病気になり易いそうですよ。私たちとて生物、病気には気をつけなければ」
  冗談であろうラクラーの言葉には答えず、レンヤはがむしゃらに剣を繰り出した。そのほとんどはかわされ、まれに傷を負わせても、すぐに回復してしまう。
「落ち着いたらどうです? 慌てなくとも、結果は変わらない。いいから空を見てください、レンヤ=G=ダカナ」
  言われたままに空を見上げたレンヤは……固まった。
  暫くして、空にあるものが銀月だと気付いた。空に銀月――エデン――があることには慣れている。ただ、今見えている銀月は、巨大すぎるのだ。
「銀月にあった妙な軌道維持の力が無くなっているのに気がついたのは一月ほど前です。あそこに進化剤混じりの大気が存在しているのは知っていましたから、少しずつ軌道をずらしてみました。しかしこれほど近くに来ても異常がないとは、あれの質量は思った以上に少ないようですね」
  それはまあ当然である。重力制御技術を使用したとはいえ、人間が打ち上げられる質量なのだから、見た目が大きくともたかが知れている。
  だが、これ以上近づいたら何が起こるかわからない。いや、目に見えていないだけで、既に影響は出ているはずである。
「レンヤ=G=ダカナ。これは最初で最後の質問です。ともに世界を滅ぼしませんか?」
「……俺は生きる。俺は俺であり続ける為に、生きる。今までの俺の感情全てを俺のものだという為に、嘘ではなかったというために、生きる」
  考えての言葉ではない。自分で言いながら、ずいぶんとガマに影響された意見だな、と思った。
  急に饒舌になったレンヤに、ラクラーは一瞬驚いたような表情を見せ、次いで……実に爽やかに、笑った。
「いいことを教えてあげましょう、レンヤ=G=ダカナ。進化剤を操るというのは、私の専売特許ではないのです。確証はありませんが、異人鬼ならば誰でもできるはずなのです。私はこれから銀月の進化剤に干渉して、銀月をこの大陸に落とします。いいですか? あの銀月の進化剤に干渉する、それは君にもできるはずです。あるいは私の力の影響で、あなたもそれを行い易くなっているかも?」
「……いいだろう」
  なぜかは知らないが、これはラクラーの挑発である。レンヤは受けた。そもそも、自分の剣術では埒があかないし、銃も通じない。
  とはいえ、訳も分からず挑発を受けるレンヤには、わずかに自暴自棄の念があったのかもしれない。というより、レンヤの中の一部、ほんの一部は、やはりラクラーと同じく世界の破滅を願っているのかもしれない――
  自分の心理への詮索はすぐに打ち切る。
「いいですか。まず、進化剤の意識を感じ取る。進化剤にも、微々たる物ですが意識があるのです」
  意識を感じ取る。具体的にはわからないが、やってみる。
  レンヤが目を瞑り、何かを感じようとしていると、
「目は開けておいた方がいいですよ。風景の中からそれの存在を感じ取るんです。風の中からも、臭いの中からも、音の中からも、そう、全ての感覚を使い、全てを感じるつもりで。そうすれば、ほとんどが感じられます」
  ラクラーの助言に少しむっ、としながらも、一応目を開けた。
  全てを感じようとすれば、ほとんどが感じられる……そうかもしれない。
  一生懸命感じようとしているうちに、妙な感覚を覚えた。耳の後ろから鼻の奥にかけて、次には喉から胸へ、二の腕から指先へ、そして下っ腹から背中、腰から爪先へと流れる何かを感じた。
  それらはサックルが襲ってきたときに感じた悪寒を数倍、数十倍にして、不快感を取り除いたような感覚だった。
「自分の身体で感覚を掴んだら、段々遠くへと感覚を伸ばしていきます」
  自分でないものを、自分のように感じる。
  しかし、自分とは何だろうか。肉で繋がっているもの? いいや、痛みを感じる部分? そうじゃない。違うはずだ……と思う。自分の認識できる世界こそが、自分だと思えた。
  ガマの言葉を思い出した。他人は関係ない。食べれば腹が膨れる。つまり愛する人がそこにいれば満ち足りた気持ちになる。食べなければ腹が減る。つまり愛する人がそこにいないと虚しい気持ちになる。しかし、自分という人間の基本は変らない――
  感覚の膨張は思考の膨張を伴うようだ。レンヤは自戒し、触感の伸びる先へと集中した。
「感覚を段々絞っていき、銀月の辺りに集中してください。銀月を見ながらの方が良いでしょう」
  かつて自分のいたエデン。楽園。楽園という名の地獄。そこから感じる感覚は、ひどく空虚なものだった。自分の過去……ミアと出会うより昔の、あるのかないのかわからないような記憶が思い起こされた。確かに空虚だった。
「できたようですね。では……後は意思の勝負です。進化剤の意識を、自分の意思で染め上げます」
  言い終わると同時に銀月の感覚が変貌した。激しく、温度のない感覚。レンヤの皮膚は鳥肌立ち、大量の脂汗が浮かんだ。
  ラクラーの意思だ、と思い、慌てて自分の意思も高めた。ラクラーに対抗する為の意思を。
  それで、ラクラーの意識の支配速度を遅らせることはできた……だが、ただ対抗するだけの意思では相手を上回ることはできない。自分の中で最も強い意思は何だ? 生きようという意思? 勝とうという意思? 破壊しようという意思? それがわからなければ、ラクラーに打ち勝つことはできない。
「――迷いがありますね、レンヤ=G=ダカナ。その程度で私に立ち向かおうとは、ふざけているのですか……?」
  ラクラーの言葉には、今までにない深さが……感情があった。それがどういった感情なのかまでは、レンヤにも、ラクラーにすらもわかっていなかった。
「先程あれだけ大口を叩いておいて、どういうつもりです?」
  大口を……そう、レンヤは先程、滅ぼすというラクラーに対して生きると主張したのだ。
  自分は、何かを掴むために、生きる。メイやリンを守って生きていくのだ。
  レンヤの意志が強くなった。が、やはりまだラクラーが押している。
「そう、その調子ですよ」
「うるさい」
  守るんだ。守るんだ。守る為に生きるんだ。生きて守るんだ。生きるんだ。守るんだ。
  心の中で必死に呟いても、その意思は強まりはしない。
  思わず生まれて来る焦りを必死で押さえ込みながら、何を思う、何を願うと、自分に問い掛ける。答えは……沈黙。
「もう、あれは地球の重力に捕らわれてしまっています。……レンヤ=G=ダカナ、本当にそれだけなのですか?」
「うるさい」
「……所詮、世界とはこんなものなのですか……? 彼女に死を強制したこの世界は……」
  はっ、と気がついた。
  ラクラーの意思の源は、彼の妻に対する、愛だ。
  愛。愛。愛だ。愛。愛。愛。愛。愛である。
  あまりに大きな意思ゆえに、そして常に抱いていた意思ゆえに、気付かなかった。
  自分という世界の根底に存在するもの。そして自分という世界を形成しているもの。彼女への、愛。少なくとも自分は愛と呼んでいる意思。
  ラクラーの、激しく、暖かくも冷たくもない意思とは違う。穏やかで、大きく、力強い流れ。とても熱いが不快ではなく、ときに冷たいのも心地よい。海のようでもあるが、溶岩のようでもあり、しかし風のようでもある、そんな感覚。
「――僕の勝ちだ」
「……これは!? レンヤ=G=ダカナ、レンヤ、レンヤ、君は、こんな、これは……」
  急に取り乱したラクラーは、額を手で抑え、その場にうずくまった。
「――僕も、人を愛した。そして失った。でも僕は今も変わらず、彼女を愛してるんだ。そして僕は、それが嘘ではなく、素晴らしいものだったと言う為に、生きるんだ」
  ふと、昔の口調になっていた。幼い声音。アムに話しかけるような、柔らかな。
「な……るほど。……そちらの口調が地ですね。君という人間らしい調子じゃないですか。その方が無理がない。レンヤ……今から銀月を引き離すよりも、進化剤の持つエネルギーによって銀月を消し去った方が安全策です」
  レンヤはしっかりとうなずいた。
「わかった」
  愛の意思で、破壊。滑稽なようでいて、現実はそんなものなのかもしれない。今までの自分が何かを守れたのかといわれたら、わからないと言う他はない。それでも、自分は無益な死を振り撒いていた。そういう現実があった。だが、だが、今は少し、違う。
  銀月が光り、そして、そのシルエットが光の中に消えた。
  空が、光で包まれた。

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「レンヤ、私は君に殺されても構わない」
  空の光が収まり、晴天が覗いた後、ラクラーはレンヤに語りかけてきた。
「なに?」
「私には……君ほど割り切った考えをすることはできない。いまだ私にとって永遠という時は、苦痛なんです。君に殺して欲しい」
「……それはできないよ。僕が人を殺してきたのは、あくまで自衛の為だから。あなたにはまだ何とかなる可能性があると思うし、頑張って生きて欲しいし」
「殺せないですか……では、こちらが殺すしかないようですね」
「え?」
  ラクラーの腕が、自分の胸と重なって見えた。まるでラクラーの腕が胸から生えてきているみたいだ。おかしい。目が疲れているのだろうか。
  やがて痛みを感じたが、その痛みが胸に腕が突き刺さっている所為だと気付いた頃には、レンヤは意識を失い、地面に倒れていた。流れ出す赤が、辺りに染み渡っていく。
  ラクラーの腕は、レンヤの心臓を正確に握りつぶしていた。
「――私は、やはり滅ぼすしかないと思うんです。あれほどの意志で銀月を消してくださって、礼を言います。君のような人間がいたというのは、少し気分が良いですから。私が死ぬ際、あの世への手土産にでもさせていただきます」
  その言葉は、レンヤには聞こえていなかった。もう、レンヤには何も聞こえなかった。
  暫くレンヤの死体を眺めていたラクラーは、どこか、荒野の地平線辺りを眺めた。これからどうするかと考えた、その瞬間、ラクラーに隙が生まれた。
  急にラクラーの身体が、びくんっ、とはねたかと思うと、レンヤと同じく左胸から血を流し、レンヤと同じような体勢で、前のめりに倒れた。
  ラクラーに攻撃を放ったのは、近くに停まっていた馬車の車から伸びる一本の触手だった。ラクラーの乗ってきたその馬車に潜んでいたそれは《ソード》の一つ《手》だった。
  《手》はどんどん伸びると、まずはラクラーの、そして次にレンヤの体に触れた。
  そのまま暫く動かないでいた《手》は、やがて馬車の方へ戻っていくと、二頭の馬の背中に交互に触れた。すると馬が走り出し、《手》を乗せた馬車はその場を去っていった。

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 一三 十月二日
  発=手剣 宛=剣盾管理室
  作戦番号四三三二に関する報告書
  十三 九月二八日 〇九〇一 命令を受諾
  同日 一一二九 甲型馬車にて異人鬼〇四 手剣〈隔〉 出立
  十三 九月三○日 〇七〇四 異人鬼〇八と接触
  同日 〇七二九 銀月の消滅を確認
  同日 〇七三二 異人鬼〇四〈個体名 ストヴァーナ ラクラ〉異人鬼〇八〈個体名 ダカナ ゴールド レンヤ〉 ともに死亡を確認 死体はその場に放棄

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