月から落ちた死体の男
序章
天国から落ちた男
序幕 虚
宇宙空間で、赤いランプを見た。
緊急だそうだ。死ぬのかもしれない。
だからといってどうとも思わない自分は、どうかしているのだろうか。
ふと、ランプの照らせない空間が目に入った。
宇宙。夜空。闇。
なんとはなしに、感動した。全てを飲み込む。包み込むともいえる。ここで生きることと死ぬことに、何の差があろうか。
決して死にたいと思っているわけではない。
ただ……ただ、生きようと思うことも、できなかった。
第一幕 恋愛
レンヤが目を覚ますと、天井が見えた。
それだけならば毎朝のことなのだが、今は彼と天井の間に中年男性の顔があった。
「お、起きたか。おはよう」
挨拶をされたので、とりあえず挨拶を返す。
「……おはよう……ございます」
「何があったか、わかるか?」
妙に頭の中がぼやけていたが、レンヤはゆっくりと、休眠カプセル《ウォーム》から上体を起こした。段々と頭がはっきりしてきた。
「……はい、多分」
宇宙空間で一度覚醒した時、非常事態の警報を見ていた。
星間移民船エデンというものがある。聖書に書き記されている楽園の名がついているが、この船を作った人間はキリスト教なんて全く信仰していなかったらしい。
この船の内部で何か重大な異常が発生したとき、休眠していた人々は即座に宇宙空間に退避させられることになっている。恐らく、ここは緊急避難艇のはずである。
「避難艇ですよね?」
「そうだ」
となると、疑問が浮上してきた。
「避難艇にいる間は、眠り続けるはずじゃないんですか?」
「ああ、そうなんだがな……ま、とりあえず、部屋から出よう。他の皆が、おまえが起きるのを待ってるんだ」
「他の……?」
「現状の把握とこれからの方針を話し合う為にな。ま、自己紹介と軽いミーティングだ。お前の疑問にもそこで答えよう」
腑に落ちないが、従う他はない。
言われるままについて行くと、部屋の二重ドアの向こうには小さな広場があった。直径五メートルほどのドーナツ状の空間。中心にある円柱はエレベーターで、外周の壁には今レンヤが出てきたのと同じような扉が五つ等間隔に並んでいる。
その広場に、床に座ったり壁に寄りかかったりして一人の男と四人の女性がいた。
レンヤの記憶では、この船一隻に六十人くらいの人間が割り振られるはずである。だというのに、まさか、これで全員なのだろうか?
レンヤの疑問は、次の一言で肯定された。
「では、全員そろったことだし、え~、まずは自己紹介から始めよう」
レンヤを連れてきた男がそう切り出して、まずは自分の自己紹介を始める。
「俺は〈エンブリオ〉のコガ・ロックだ。精神年齢三十六歳独身。趣味は読書に映画鑑賞。よろしくな」
〈エンブリオ〉、本当に生きていたのかと、レンヤは軽い驚嘆を覚えた。
レンヤの住んでいる星間移民船エデンの人間は、大きく二つに分けられた。〈エンブリオ〉と〈アルビューマー〉である。
〈エンブリオ〉は地球時代の文化と知識、それに健康な遺伝子を確実に残す為、エデンの発進時から数百年間、冷凍睡眠を続けている人間である。
それに対して〈アルビューマー〉は、〈エンブリオ〉の生命維持とエデンの運営、更には人間という種の可能性の発展の為に、エデン内で自然な方法で種を存続させている人間である。
レンヤも学校行事の一環で、冷凍睡眠に付く〈エンブリオ〉を見学したことはあったが、こうして生きて動いているのを目の前にしてみると、〈エンブリオ〉である彼は〈アルビューマー〉である自分たちとは一線を画す印象で――明るくしなやかな人間に見えた。
レンヤがそんなことを思い出している間、コガの自己紹介が終わって以降ずっと、辺りには沈黙が降りていた。
誰も口を開かないことによる、永遠に続くかと思われた沈黙はやがて、耐えかねたコガによって打ち砕かれた。
「なんだよ、お前ら。自分から自主的に名乗ろうって奴はいないのか? じゃあ、ほれ、俺から時計回りにいけよ」
コガの言葉に従い、コガの左手の壁に寄りかかっていた男が口を開く。青みがかった髪をした、線の細い男である。その薄茶色の瞳は無害な印象を人に与える。身につけているシャツもズボンもシックな色合いで、ますます彼の存在から角を取っていた。
「私は〈アルビューマー〉の、キグイ・サツといいます」
そういって、ぺこりと頭を下げる。
それから一呼吸おいて、サツの立っている壁と、エレベーターとの間に立っていた女が続く。ブラウンの髪を背中まで伸ばしている彼女は、整形が一般的な今時では標準的なボディラインを、ブルーのブラウスと濃いブラウンのタイトなスカートで包んでいる。
「あたしも〈アルビューマー〉でコノエ・ハルカです。よろしく」
次は、エレベーターの前に座り込んでいる少女二人。二人の少女はどちらも肩辺りまで髪を伸ばしていたが、印象ははっきりと違う。最初に名乗ったのは、濃いブロンド、もしくは薄いブラウンといった髪の少女だった。
「あたしはホンカミイ・アヤヒメ。〈アルビューマー〉ね。長ったらしいけど、自分の名前は気に入ってるの」
もう一人の少女……アヤヒメよりも幼い顔立ちの少女は、暫くもじもじしていたが、アヤヒメに脇をつつかれてようやく立ち上がり、自己紹介を始めた。
「わ、私は、えと、〈エンブリオ〉の、ホシイ・ミアです。十四歳です。あの……どうも」
ぺこりと頭を下げたミアは、顔にかかった黒髪を払いながら、恥ずかしそうにはにかんだ。
レンヤはそれを見て妙な感覚を覚えた。思わず何か声を発しそうになったところで、ミアの右手……壁際に立っていた女が言葉を発した。
「……ヨワ・カミエ」
彼女の自己紹介は、それで終わりのようだった。
彼女の声音は、どこか他の人間とは違っていた。ひどく真剣そうに聞こえるのだが、明らかに投げやりな印象も受ける。その声はやたらと耳に残り、口を開きかけていたレンヤは、そのまま動けなくなっていた。
次に名乗らなければならないレンヤがカミエの作り出した空気に話し始めのタイミングを失ってしまったため、場には再び沈黙が訪れてしまった。
助け舟を出してくれたのは、今度もコガだった。
「じゃ、次はお前だな」
促された形で、ようやくレンヤが口を開く。レンヤは黒髪、黒い目をした小柄な少年である。
「ダカナ・レンヤ。〈アルビューマー〉。十五歳。学生です」
それだけ言って、軽く頭を下げた。
カミエとは異なる普通の人間らしい言葉に、少し場の空気が柔らかくなった気がした。
「じゃあ、続いて俺が現状を報告しよう。現在、エデンの状況は不明だ。いや、一応メインコンピュータにはアクセスできたんだが……」
コガは少し躊躇ってから、肩をすくめて話を続けた。
「昇滅至団の名による声明文だけがあった。『人、人ならず。地、地ならず。この時、この場所、昇滅至のみが大意』。まったく、わかりにくい日本語使いやがる」
コガの愚痴の軽い調子など関係なく、その場の沈黙が重くなった気がした。その文章は、明らかにある事象を連想させている。……人為的な、殺意を伴う事故が起こったのだ。そして今、自分たちはここにいる。
「あのぉ――」
ミアが口を開いた。が、それはコガに遮られた。
「質問は最後に受け付ける。んでだ、エデンのメインコンピュータには、本気でこの文章しかねぇみてぇなんだよ。他のあらゆるプログラムが消されてる」
それはつまり、自力ではエデンに戻ることが出来ないことを意味していた。
「そして、プログラムを消すと同時に、《ウォーム》にウィルスを撒いたようだ。俺たちの《ウォーム》は偶然にもプログラムがバグってたおかげで助かったようだが、他に非難艇の信号が無いことから、最悪の場合はここにいる俺たちが最後の生存者となる」
レンヤは不意に、軽い吐き気を覚えた。今まで彼の人生にはなかった、大きな変化の波に、僅かに溺れそうになったのだ。
「この避難艇には十分な……少なくとも七人が一生食って遊ぶだけの食料とエネルギーはある。ま、考えようによっちゃ、一生休日ってなもんだな」
恐らくコガは、その場を明るくさせようとして言ったのだろうが、それはあくまで地球時代の人間の価値観である。エデン時代の人間……〈アルビューマー〉にとっては、一生休日なのが普通なのだ。
レンヤが目覚めて最初に持った疑問……避難艇では眠り続けるはずなのに、何故起きたのか。それは恐らく、避難プログラムが完全には動作しなかったからだろう。それはもしかしたら、この中の誰か一人の《ウォーム》だけでのことだったのかも知れない。その一人が皆を起こしたと考える方が自然だった。
「俺たちが掴んでいる情報といえばこれくらいだな。んじゃあ、ミア君、質問をどうぞ」
「あ、はい。あの、さっきのショーメツシダンってなんですか?」
「昇滅至団?」
「そうです」
レンヤは歴史の授業で、昇滅至団の設立は地球暦の終わり約半世紀前と習った。〈エンブリオ〉の人間だろうと知っているはずなのだが。
同じ〈エンブリオ〉でも、昇滅至団を知っているらしいコガはやはり、不思議そうな表情を見せた。
「ふむ? 君のお父上はかのホシイ・マツロウ卿だろう? 進化派の大御所じゃなかったか?」
「父の仕事のことは、全く聞かされていませんでした。あと、外のこともほとんど知らされてなかったので……」
「なるほど。かなりの箱入り娘だったわけだ。んじゃあまあ……時にレンヤ」
「は、はい?」
突然話を振られ、レンヤは慌てた。さっきから理由も無くミアを見つめていたので、やたらと慌てた。
「お前は昇滅至団のことは知ってるか?」
コガの口調は少し馴れ馴れしいが、それほど不快でもないので気にしないことにする。
「はい。時々ニュースで流れますから。最近の事件でいったら、《ウォーム》の大量窃盗なんかですかね」
「んなっ……エデン内でも、そんなにはっきりと存在してたのか!?」
コガは愕然としていた。彼の予想していた答えは、もっと違うものだったらしい。
「んん……そうか……」
コガは眉間にしわを寄せて何かを考え込んでいたが、レンヤはとりあえず話を続けることにした。
「後は歴史の授業で習ったんですが、昇滅至団は地球暦三一二〇年頃に設立して、シード計画と対立し、その戦いで一時崩壊。しかし、エデン暦百三〇年代以降、再び昇滅至団を名乗る集団が現れるようになった。それから百年以上、ゲリラ的に活動を続けている、と」
これは参考文献の丸暗記。
ちなみにシード計画とは、エデンによる移民計画の名称である。レンヤはこの名前を聞くたびに、B級SF映画のようなネーミングセンスを感じてしまう。このような感想を抱く人間は少なくない。
「……なるほどな。いや、わかった。その歴史の教科書、後で見せてくれ」
「あったら、見せます」
コガは軽くうなずいてから、ミアに向き直った。
「ってことだ。わかったか?」
「はい。……えぇと、悪い人たち、なんですよね?」
あれだけ説明したのだが、どうもミアにはいまいち伝わっていなかったようだ。
「ああ、まあ……俺たちからしてみれば、そうだな」
「じゃあ、わかりました」
そういって、ミアは場違いに明るく笑う。
コガは、彼女のことには全く関心が無い様で、すぐに辺りを見回した。
「他に質問は?」
誰も口を開かない。
暫く互いに黙り込んでいる内、硬い雰囲気の女……カミエが背後のドアを開け、部屋の中へと戻ってしまった。
皆がそれを視線で追う中、コガが困ったように頭を掻く。
「あぁ~、んじゃあ、これでお開きにしよう。この船の構造とかは、ここのデータバンク内にある。知りたいことがあったら、各自の《ウォーム》でアクセスしてくれ」
皆、ゆっくりと腰を浮かべた。サツはそのまま部屋に入っていき、ミアとアヤヒメ、ハルカの三人はエレベーターに入っていく。一瞬、男と女で階分けがされているのかと思ったが、カミエはこの階のようだったし適当なのだろう。
皆がいなくなると、その広間にはコガとレンヤだけが残った。
「さて、んじゃレンヤ、歴史の教科書を見せてくれないか」
「はい」
レンヤはコガの先に立ち、もと来た扉をくぐり部屋の中へ戻った。
「確か、学校のがあったはずですけど、なかったら諦めてくださいね」
そう言いながらレンヤは、自分の《ウォーム》を操作した。
人一人がすっぽり納まる、まさにカプセルと言うに相応しい、もしくはSF風棺桶というような印象を抱かせる楕円形のシルエットを持つ《ウォーム》だが、上部のスライドして開く扉、というか蓋は、液晶のように電圧によって色が変わる画面になっていた。その画面に指で触れることで様々な情報を操作することが出来た。それは《ウォーム》の外部からも内部からも行うことが出来た。今、レンヤは外部から操作を行い、データを検索していた。
「あ、ありました」
レンヤは慣れた手つきで、画面に歴史の教科書の表紙を映し出した。
「ほう。じゃあ、すまないがこれを印刷してくれないか?」
「印刷……ですか?」
レンヤは怪訝そうな表情を見せた。それに対し、コガは苦笑を浮かべつつ説明をする。
「いや、どうもな、俺みたいなオヤジは、そういうのよりも印刷された文字の方がしっくりくるっつーかなんつーか、な」
レンヤは暫く考えた後に、確認するように問い掛けた。
「……印刷?」
「ああ、頼む」
「……文字を?」
「できればまあ、挿絵なんかも頼む」
「……何にです?」
その質問の意味は、コガにはよく理解できなかったらしく怪訝そうに眉をひそめたが、とりあえず最も適当と思われる答えを返してきた。
「紙にだ」
「紙?」
コガは大きくうなずいた。
「それは、その……どういう紙ですか?」
「どういうって……印刷用紙とか、模造紙とか」
「モゾウシ……?」
レンヤが更に怪訝そうな表情を見せると、コガはようやく納得がいったようで、胸の前で手を打った。
「紙メディアは消滅しちまってるのか!」
「は?」
「いや、俺らの時代にはな、文章を植物の繊維と油で作った硬めの紙に石油から作ったインクで印刷して読むって習慣があってな。いや、そうか、なくなっちまったか」
そのコガの言葉を聞いて、レンヤにもコガの言っている紙というのがどんなようなものなのかが、ぼんやりとだがわかってきた。
「今は、文章は全てデータでやり取りされていますから。読むときはブックス――こういう端末を使います」
「ああ、俺の時代にもあるにはあったな、そういうの」
コガはレンヤが《ウォーム》下部の収納部から取り出した薄く平たい二枚合わせの端末を手に取って、さりげなく溜め息をついた。
「はぁ……文化学者とかがいつかはこうなるっつってたが、まさか本当になっちまうとはなぁ……まあ、地球から離れて、過去に縛られない環境だからなんだろうなぁ……」
コガは暫く感慨深げに一人でうなずいていたあと、ブックスを返しながら、レンヤに訊いて来た。
「硬くて薄い紙は無いか?」
「硬いって、どれくらいです?」
「大体だな、なんつーか、その……」
コガは言葉に詰まってしまった。暫く唸っていたが、やがて諦めたらしく、大きく溜め息をつくと、紙を捜すと言い残して部屋を去っていった。
「……ふぅ」
レンヤは一人になると、部屋の中を見回した。部屋の作り自体は、キッチンが無いことを除けばエデンにあった自分の部屋と変わらない。真四角の部屋に、トイレの扉と椅子と《ウォーム》、ソファー、ベッド。着替えは《ウォーム》の下部に、清潔な状態で収納されている。
風呂の代わりに《ウォーム》が体の垢を落とし、あらゆる情報も《ウォーム》で操作できる。ある種の薬品を人間に投与すれば、尿や便の排泄などもせずにすむというし、肉体に不足している栄養は《ウォーム》が自動診断し、睡眠中に補充される。いまや人類は《ウォーム》一つで生涯を送れるようになっていた。
睡眠は《ウォーム》で行うが、ベッドには性交の用途がある。レンヤはまだその用途で使用したことは無いが、それすらも『ツイン』とかいう、《ウォーム》内での性交が流行しているという。
とりあえずやることのなくなったレンヤは、いつもの習慣で《ウォーム》をネットにつないだ。エデンの船内ネットにはいつも多くの人格がひしめき合っていたが、ここには何もいない……と思っていたのだが、意外なことに、この避難艇内のネットには一つのキャラクターが存在していた。
ネット内ではそれぞれ、自分の好きなキャラクターを操作してコミュニケーションを図る。自分の姿をトレースして使うことも出来るが、たいていは3Dアニメーションを使う。
今、ネット内に居るのはピンク色のペンギンだった。その傍にレンヤのキャラクターを送り込む。
レンヤのキャラクターは空中に浮かぶサングラスである。紫外線の管理されているエデン内では完全にファッションの一つとなっているサングラスだが、やはりワイルドなイメージがあった。
サングラスはペンギンに話し掛けた。
『どうも』
すぐに返事が返ってくる。
『どちら様?』
『レンヤ。そっちは?』
日常以上にぶっきら棒に返す。それはレンヤの癖だった。
レンヤの問いかけに対して、たっぷり十数秒かけてから返事が帰ってくる。
『誰だと思う?』
レンヤは暫く考えてから、答えを返した。
『ショートの髪の、敬語のコ』
名前で言わないのも癖である。レンヤは人の名前を覚えるのが苦手だったから、思い出そうという気さえ起こさない。だが、
『名前は?』
『ミア』
訊かれたら、不思議とすんなり思い出せた。今までに無いことに、レンヤは自分で少し驚いた。
『初対面の相手のファーストネームを呼び捨てなんて、礼儀を知らないの? しかもはずれ。正解はアヤ姫ちゃんでした』
ペンギンが怒ったようなジェスチャーをする。だが、レンヤはアヤ姫と聞いても誰のことだか思い出せなかった。
そこに、ペンギンが再び話しかけてきた。
『いまここに、さっき君の言ってたミアちゃんもいるわよ』
それでなんとなく、アヤ姫とは、あの時ミアの隣にいた女だろうと思った。上の名前は全く思い出せない。思い出す必要も無いと開き直った。
『なんで一緒にいるの?』
『なんででしょう?』
『わからないから訊いてる』
『おっそろしく暇なんだから、時間をかけましょうよ』
『……。同性愛者だから』
『うわっ、最低。こっちには十四歳の純真な少女がいるのよ! 行け! 無垢な一言!』
『同性愛者ってなんですか?』
これは恐らくミアが書いたものだろう。なんとなくレンヤは失敗した気分になった。
『なんでもない。悪かった』
『じゃあ、なんでミアちゃんがここにいるのか当てて見なさい』
レンヤは暫く本気で考えて、答えを書いた。
『駄弁ってた』
『あははは、おしい☆』
『答えは?』
『いいよ、教えたげる。ミアちゃんが《ウォーム》の使い方よくわかんないって言うからさ、教えてあげてたの』
『ツインとか』
『……あんたって意外と助平なのね』
いわれてみれば、偶然そういう冗談が続いてしまった。
『ツインってなんですか?』
『一つの《ウォーム》に二人で入ること』
裸で、とかいう限定は言わないでおいた。
『面白そう!』
『変なこと教えるな!』
ほとんど同時に二つのメッセージが出たので、最初のメッセージは危うく読み取れないところだった。新しいメッセージが表示されるときに、前の発言は消えてしまう。ログを見れば読めるのだが、話している最中にいちいち読み返すのは面倒だった。
レンヤはそのことについて提案することにした。
『キャラクターをもう一つ作ったら? 話しにくいから』
『ばかねぇ。一つの《ウォーム》は同時に一つのキャラクターしか持てないのよ』
レンヤは少し優越感を覚えた。
『出来るよ。実は』
それからレンヤは、その裏技のコマンドを教えた。
『なにこれ? なんでこんなこと知ってんの?』
『ハック本に載っていた』
『あの犯罪本!?』
『所持だけなら犯罪じゃない』
『じゃ犯罪者予備軍本。さっきの試すからちょっと待ってて』
一旦ネット上から姿を消した後、ペンギンは二匹になって現れた。すぐに設定変更をしているようで、片方はピンクのイルカになった後、青いイルカになり、最終的に明るい水色のイルカに落ち着いた。
『すっごーい! 他にどんなことできんの?』
『色々』
次に、イルカ……つまりミアが思いがけないことを言ってきた。
『こちらに来て教えてくれませんか?』
暫く対応を考えてから、率直な疑問を述べる。
『いいの?』
少し間を置いて、イルカも喋った。
『いいですよね?』
隣にいるのだったら、直接話し掛けるだけでいいものを。いや、もしかしたら音声入力を使っていて、声を拾っているだけかもしれない。
ともかく、二つの疑問符を受けたペンギンは、やたら可愛らしく体を振りながら答えた。
『襲わないならね』
『誓うよ。じゃあ、行くから』
レンヤは軽く笑って、立ち上がった。
部屋を出て、エレベーターで下の階層に下りる。そして、レンヤはアヤヒメの部屋の前に来た。
妙に緊張する。思えば、レンヤは女性の部屋に入ったことなどなかった。そのチャンスは何度でもあり、実際は入ろうと思わなかっただけではあるが。
今は違った。入りたいと思っている。
ドアの脇にあるコンソールを操作すると、アヤヒメの声が聞こえてきた。
『は~い。レンヤ君よね?』
向こうからは映像で確認できているはずなのだが、確認の声が掛けられた。
「うん」
『開いてるわよ。どうぞ』
いわれてレンヤはコンソールのボタンの一つを押し、ドアを開けた。二重の扉をくぐると、部屋の中央にアヤヒメが一人で立っていた。ミアがいないことを不審がりながら中に一歩踏み込むと、
「わっ!」
ドアの脇に隠れていたミアが、突如として目前に飛び出してきた。
「……?」
レンヤは不思議そうな顔をアヤヒメに向けたが、彼女は苦笑しているだけだったので、ミアに直接問い掛けた。
「えっと……なに?」
レンヤの問いに、ミアは恥ずかしそうに答えた。
「あ、あの……驚かせようと思って……」
「……なんで?」
「面白いかな、って思って――」
「ふっ……あは、ははははは!」
レンヤは軽く笑ってから、だんだんと声を上げて笑い出した。やがて落ち着くと、優しい声を心がけて言う。
「驚いたよ。面白かった」
「そうですか!」
ミアは翳りの無い笑顔を見せた。
まただ。
なにか、レンヤは体の中身が全て混ざり合うような気分を感じた。それはある種の感動で、また、初恋だった。それが縁遠きものだったレンヤにとって、その気持ちは単なる異物感としてしか捉えられなかったが、自分がミアと一緒に笑っていることに対して、ぞっとするような安堵感を感じていることだけはわかった。
「レンヤ君」
いつもどおり学校から帰ろうと、そのエリアのエレベーターに乗ろうとしていたレンヤは、自分の名を呼ぶ声に振り返った。
こちらに駆けて来ているのは、クラスメイトの女子である。名前は思い出せなかった。
「……なにか用?」
これがレンヤの、普段どおりの対応である。
「あのさ、あの、今日、これからヒマ?」
「うん」
「じゃあさ、一緒に遊びに行かない? 二人っきりで」
レンヤには、行かない理由がなかった。だから行くことにした。
彼女はレンヤを連れて、遊園地へと出向いた。平日の午後、それに少子化の影響で、がらがらだった。もともと公共事業の上、無人の娯楽施設である遊園地は客寄せなどもせず、人がこなくとも一切変わる事無く稼動し続けているその姿は無気味にすら見えた。
「まず何に乗ろうか?」
「任せるよ」
「え、そう? じゃあねぇ――」
彼女と一緒に、さまざまなアトラクションに乗った。
人間の脳の構造上、やはりどんなに冷めた心持ちで乗っていても興奮はするもので、レンヤも少しくらいは笑みを漏らしていたかもしれない。
「ねぇ……最後に、あれに乗ろ。あれ」
そういって彼女が指し示したのは、観覧車である。丁度時刻は船内照明の落ちる夕方頃。光の波長は長くされている。人工の、夕焼け時である。
レンヤはやはり拒否する理由がなかったので、付き合うことにした。
二人とも外の景色を眺めたまま、観覧車は頂点に達する。
そこで、彼女が口を開いた。
「ねぇ、レンヤ君」
彼女はわずかに潤んだ瞳でレンヤを見つめた後、目を瞑って顎を上げた。
暫くレンヤが黙っていると、彼女はポツリと呟いた。
「キス、して」
レンヤはキスという言葉の指し示す行動を知っていたし、彼女も自分も学校の定期診断を受けているので、《ウォーム》で発見できないような経口感染する病気をもっている可能性は無いと判断して、唇を重ねた。
唇が離れると、彼女は気まずそうに少し笑い、俯いた。
やがて、観覧車が一周する。
二人は遊園地の出口へと向かった。そこで、キス以来ずっと黙っていた彼女が喋り始めた。
「楽しかったね」
「楽しかった?」
レンヤには、よくわからなかった。
「え、レンヤ君は楽しくなかったの? ごめんね。じゃあ、次のデートはレンヤ君が場所選んでよ。どこがいいかな?」
デート。レンヤはその言葉について知っていた。デートとは、お互いの間に恋愛感情がなければならないはずだ。それはおかしい。
「……僕は、君に対して恋愛感情を持つ事は出来そうに無い。それでも構わなければ、いつでも一緒に行動するけど」
レンヤにそう言われて、彼女は不安げな眼差しを向けてきた。
「そ……れって……私のこと、好きじゃ、ないの?」
「うん」
「私のことは……なんなの?」
「なに?」
「私はレンヤ君にとって、なんだったの?」
暫く考えてから、思ったとおりを口にする。
「面識のある女子」
レンヤの言葉に、彼女は肩を震わせた。
「じゃあ……なんでキスしたの……」
「君がしてくれって言ったから――」
ぱしん、と音を立てて、彼女はレンヤの頬を張った。そして、表情を歪めるとその場を走り去った。
レンヤは、不条理だと思った。一緒に遊ぼうというから遊んだのだ。決して遊びたかったわけでは無い。彼女が乗りたいというから一緒に乗ったのだ。キスしてくれと、彼女から言ってきたからしたのだ。そりゃ、キスは好意を持つ者同士が行う場合が多いとは知っていたが、何故あの状況で自分が好意を持っていると思うのだろうか。思えるはずが無い。だから自分は、彼女は感情を抜きにして唇の接触を望んでいるのだと理解しただけだ。何故自分がはたかれなければならないのだろうか。
レンヤは少しの憤りを持って、一人家へと帰っていった。
数日後、彼女は別の男と付き合っていた。それを知ったのは別に、レンヤが彼女のことを気にしていたからではない。彼女の方から、男と付き合っているのであの日のことは黙っていてくれと言ってきたので知っただけだ。
レンヤは、エデンにいた最後の日まで顔を合わせていた彼女の、名前すら思い出すことは出来ない。
レンヤは、そのドアの前で深呼吸をした。
ほとんど毎日来ているというのに、この第一歩には慣れることがなかった。
この先にミアがいる。それを考えただけでたまらない興奮が駆け抜けた。
ミアとキスをすることを考えると、死にそうになった。
少年の恋はまだ始まったばかりだった。
レンヤはドアの脇にあるコンソールに指を向けた。
操作をすると、すぐに返事が聞こえてくる。
『は~い』
アヤヒメの声だった。少しがっかりする。
「僕だけど」
『はいはい、ど~ぞ』
レンヤは部屋に入っていく。そこにはミアがいた。
「こんにちは~、レンヤさん」
「ああ……こんにちは」
ミアの笑顔を見ると体の底から、今にも泣き出しそうになるくらい感動がこみ上げてきた。抑えきれない笑みが溢れ出て、レンヤは生まれてからミアに出会うまでしたことが無いような、自然な笑みを浮かべていた。
吐き気がするほどの、幸福感に包まれながら。